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住吉大社
大阪では、親しみを込め、「すみよっさん」と呼び、正月三が日の初詣参拝客数は毎年200万人を超えます。全国約2300社余の住吉神社の総本宮であり、摂津国一の宮、旧社格は官幣大社です。古くから「航海安全の神」「祓の神」「農耕の神」「和歌の神」「武の神」「相撲の神」として信仰され、創建は1800年前に遡ります。ご祭神は第一本宮から第四本宮順に、「底筒男命/そこつつのおのみこと」「中筒男命/なかつつのおのみこと」「表筒男命/うわつつのおのみこと」、そして「神功皇后/じんぐうこうごう」です。本殿が4つに別れ、第一本宮~第三本宮までが縦に、第四本宮は第三本宮の横に、あたかも大海原をゆく船団のように建ち並ぶ配置は他にないものです。「三社の縦に進むは魚鱗の備え 一社のひらくは鶴翼の構えあり よって八陣の法をあらわす」とも伝えられています。柱・垂木・破風板は丹塗り、羽目板壁は白胡粉塗/屋根は桧皮葺で切妻の力強い直線/出入り口が直線型妻入式という3つの特徴をもつ「住吉造」でつくられており、こちらも神社建築史上最古の特殊な様式で、国宝に指定されています。30を超える摂社/末社/祠をもち、住吉祭など各種祭礼行事も多く、境内には、国宝や重要文化財として大切に保存されている建物や文化財があります。
出典:https://osaka-info.jp/page/sumiyoshitaisha
住吉大社は、大阪随一のパワースポットですが、その中でも人気が高いのが“五大力(ごだいりき)”の石探し。 ここで小石を拾ってお守りにすると、5つの運力が授けられ心願成就のご利益があるといわれています。
住所 大阪市住吉区住吉2-9-89
四天王寺
四天王寺(してんのうじ)は、大阪市天王寺区にある寺院。聖徳太子建立七大寺の一つとされている。山号は荒陵山(あらはかさん)、本尊は救世観音菩薩(くせかんのんぼさつ)である。「金光明四天王大護国寺」(こんこうみょうしてんのうだいごこくのてら)ともいう。縁結びや商売繁盛、家内安全や開運・合格祈願などにご利益があるとされています。
様々な不思議な現象の伝えられるパワースポット。境内の「おもかる地蔵」は、持ち上げたとき軽いと感じれば願い事は早く叶い、重ければまだ叶う時期ではないと言われる。
また、鳥居の外側の左右に立石が建っており、その上方側面に四角い穴が開いていて、掌で叩くと「ポンポン」と鼓のような音がする。「ぽんぽん石」と呼ばれ、この穴に耳を当てると、あの世の先祖の声が聞こえるといわれている。
この「ぽんぽん石」の他、「西門の石の鳥居は、極楽浄土の東門の中心である」「五重宝塔一層目の北西角には、正面に大黒天・左に毘沙門天・右に弁財天を彫った瓦があり、どの方角から見てもその顔が見える」「金堂西の井戸は竜の浮かび出る底なしの井戸である」「北引導鐘の音はあの世まで響く」「左甚五郎作・猫の門の「眠り猫」は元朝に三聲鳴く」「太子殿前の二股竹は根から二股になっており、いつまでも離れない縁結びの竹としておみくじがよく結びつけられる」という四天王寺の七不思議がある。
住所 大阪府大阪市天王寺区四天王寺1丁目11-1
勝尾寺
勝尾寺(かつおうじ)は、大阪府箕面市にある高野山真言宗の寺院。山号は応頂山。西国三十三箇所の第二十三番札所。開山は開成(かいじょう)、本尊は十一面千手観世音菩薩である。寺号は「かつおじ」「かちおじ」などとも読まれる。勝運にご利益があるとされています。
「勝運の寺」として知られており、試験・病気・選挙・スポーツ・芸事・商売等での勝運や成功を祈る参拝者が数多く訪れる。「勝ダルマ」のご利益がよく知られている。また、春は絶景の桜スポットでもある。
住所 大阪府箕面市粟生間谷2914-1
犬鳴山
犬鳴山(いぬなきさん)は、大阪府泉佐野市大木犬鳴の犬鳴川渓谷を中心として、そこへ流れ込む燈明ヶ岳(標高558m、西ノ燈明ヶ岳ともいう)等の山域全体の総称。「犬鳴山」という名称の山があるわけではない。名勝地や金剛生駒紀泉国定公園の指定を受けるなど豊かな自然を持つ。真言宗犬鳴派の本山「七宝瀧寺/七宝滝寺(しっぽうりゅうじ)」があり、役小角が661年、大峰山山上ヶ岳の6年前に開山したと伝わり、元山上と呼ばれている。古くは犬鳴山を含む金剛・和泉山系全体を「葛城」と呼び、その中でも犬鳴山は西の行場、東の行場を持つ葛城二十八宿修験道の根本道場。日本の霊山のひとつである。七宝滝寺参道としての犬鳴川を持ち、けして高い山域ではないにも関わらず、渓流沿いの山岳景観は「大阪府 緑の百選」にも選ばれ、地元民に深く愛されている。関西国際空港が開港してからは、空港からもっとも近い温泉「犬鳴山温泉」がある場所として名前が広がった。「犬鳴山」の読み方についてであるが、地元では通常(いぬなきさん)と呼ぶ。これは次節で述べているように、「犬鳴」が寺院の山号に由来しているためである。そのため地元で「いぬなきさんに行く」と言えば、犬鳴川渓流沿いの参道を遡って七宝滝寺へ行くことを指すのであって、決して山歩きに行こうと言っているわけではない。 これに対し、参道渓流入り口の温泉郷では(いぬなきやま)と読ませて「犬鳴山温泉」と称している。心願成就、開運のご利益があるとされています。
住所 大阪府泉佐野市大木犬鳴
大阪城
大阪城(おおさかじょう)は、摂津国東成郡大坂(現在の大阪市中央区の大阪城公園)にあった安土桃山時代から江戸時代の城である。別称は金城あるいは錦城で、大坂が近代に大阪と表記するように改まったため、現在は「大阪城」と表記することが多い。通称「太閤さんのお城」。姫路城、熊本城と共に日本三名城の一つ。出世開運のご利益があるとされています。
住所 大阪市中央区
通天閣
通天閣(つうてんかく)は、大阪府大阪市浪速区にある新世界界隈の中心部に建つ展望塔である。2007年5月15日に、国の登録有形文化財となった。
5階の展望台には、足の裏を撫でると幸運が訪れるという言い伝えがある幸運の神様「ビリケン(Billiken)」の像が安置されている。これは新世界にかつて存在していた遊園地である「ルナパーク」が開業した1912年(明治45年)当時、世界的に流行していたビリケンの像をルナパーク内に作られたビリケン堂に安置したのが始まりである。1923年(大正12年)にルナパークが閉園した時期を境に像の行方がわからなくなっていたが、1979年(昭和54年)、通天閣の3階に「通天閣ふれあい広場」が作られたのを機に復元された。また毎年末には干支の引き継ぎ式、というイベントが執り行われている。
住所 大阪府大阪市浪速区恵美須東一丁目18番6号
豊國神社(ほうこくじんじゃ)は、大阪府大阪市中央区に鎮座する神社。京都市の豊国神社(とよくにじんじゃ)の別社として創建された。「出世開運」「商売繁盛」にご利益があるとされています。
主祭神である豊臣秀吉が大名として統治していた大阪城(大阪城公園)内に位置するが、創建当初からそうだったのではなく、かつては中之島に鎮座していた。秀吉のほか豊臣秀頼、豊臣秀長も祭神とする。
住所 大阪府大阪市中央区大阪城2-1
大阪天満宮(おおさかてんまんぐう)は、大阪府大阪市北区に鎮座する神社(天満宮)。「天満の天神さん」と呼ばれる。別名に天満天神・浪華菅廟・中島天満宮がある。
901年に菅原道真が、藤原時平により九州大宰府へ配転させられた際、同地にあった大将軍社に参詣した。903年に菅原道真が没した後、天神信仰が始まる。949年に大将軍社の前に7本の松が生え、霊光を放ったという奇譚が都に伝わった。そのため村上天皇の勅命によって天満宮を建立させたのが始まりである。
毎年7月24日から25日にかけて行われる天神祭は日本三大祭、大阪三大夏祭りの一つとして知られている。境内に臥牛像・青銅牛があり、中でもえびす門近くの青銅牛の頭に触れると頭が良くなると言われている。
住所 大阪府大阪市北区天神橋2丁目1-8
堀越神社
堀越神社(ほりこしじんじゃ)は、大阪市天王寺区茶臼山町にある神社。開運招福や商売繁盛のご利益があるとされています。
聖徳太子が四天王寺を創建した際、崇峻天皇を祭神として風光明媚な茶臼山の地に社殿を造営したのが最初と伝わり、四天王寺七宮の一つに数えられる。
創建当初から明治中ごろまで境内の南沿いに堀があり、この堀を渡って参詣したのが「堀越」という社名の由来だといわれる。また、古くから「一生に一度の願いを聞いてくださる」と、尊崇を集めている。
現在は交通量の多い谷町筋に面しているが、境内は樹齢数百年に及ぶ樹木をはじめ緑が多く、閑静な境内を構成している。樹齢550年といわれるご神木「堀越さんのご神木」がある。
住所 大阪府大阪市天王寺区茶臼山町1-8
大聖観音寺
大聖観音寺(たいしょうかんのんじ)は、大阪市住吉区にある観音菩薩の寺院。正式には観音宗総本山吾彦山大聖観音寺で、寺号を大聖観音寺と称する。我孫子観音、あびこ観音ともよばれる。病気平癒 · 病気平癒などにご利益があるとされています。
あびこの名は、この地の豪族、依網吾彦(よさみのあびこ)に由来するといわれる。本尊は聖観世音菩薩。創建は546年で、日本最古の観世音菩薩の寺院とされる。厄除の寺として知られ、毎年2月1日から7日にかけて行われる「節分厄除大法会」は大勢の人で賑わう。
住所 大阪府大阪市住吉区我孫子4-1-20
本願寺津村別院
本願寺津村別院(ほんがんじつむらべついん)は、大阪市中央区本町四丁目にある浄土真宗本願寺派の寺院である。通称は「北御堂」(きたみどう)、正式名称は「浄土真宗本願寺派 本願寺津村別院」。住職は龍谷門主が兼ねる。別院輪番が置かれて実務を主管している。
津村別院には、浄土真宗本願寺派大阪教区教務所を併設するが、教務所長は津村別院の副輪番である。大阪市内の中心を南北に走る御堂筋は、北御堂と南御堂(真宗大谷派 難波別院)を繋ぐ道であることに由来する。
住所 大阪府大阪市中央区本町四丁目1番3号
小松神社
小松神社(こまつじんじゃ)は大阪府交野市星田に鎮座する神社である。正式名は小松神社である。別名は星田妙見宮(ほしだみょうけんぐう)。
天之御中主大神を主祭神とし、高皇産霊大神・神皇産霊大神を祀る。祭神は、江戸時代までは、仏教では北辰妙見大菩薩、陰陽道では太上神仙鎮宅霊符神であるとされた。生駒山系に残る数少ない岩座信仰の霊場のひとつである。
伝承によれば、平安時代、嵯峨天皇の弘仁年間(810~823)に、弘法大師が交野に来たおり、天上より七曜の星が降り、それが地に落ちた三ケ所のうちのひとつがこの地であるという。平安時代には「神禅寺」と称されており、河内長野の天野山金剛寺の古文書には、「嘉承元年(1106年)9月23日星田神禅寺」との記載がある。明治39年11月、住吉三神を祀る星田神社の境外摂社とされた。
拝殿左側には御神体である妙見石(織女石)がある。願い事を念じた後、その石が持ち上げるかどうかで願い事が叶うかどうかがわかる「おもかる石」がある。
住所 大阪府交野市星田9-60-1
太陽の塔
太陽の塔(たいようのとう)は、1970年に大阪府吹田市で開催された日本万国博覧会(大阪万博)の会場に、芸術家の岡本太郎が制作した芸術作品であり建造物である。岡本太郎の代表作の1つである。太陽の塔は、大阪万博のテーマ館のシンボルとして建造され、万博終了後も引き続き万博記念公園に残された。
塔の高さ70m、基底部の直径20m、腕の長さ25m。未来を表す上部の黄金の顔(直径10.6m、目の直径2m)、現在を表す正面胴体部の太陽の顔(直径12m)、過去を表す背面に描かれた黒い太陽(直径8m)の3つの顔を持つ。
太陽の塔の内部につくられている高さ45mの『生命の樹』は、生命を支えるエネルギーの象徴であり、未来に向かって伸びてゆく生命の力強さを表現している。
住所 大阪府吹田市千里万博公園10-11
サムハラ神社
サムハラ神社は大阪府大阪市西区立売堀にある神社である。祭神は天之御中主神、高皇産霊神、神皇産霊神であり、サムハラは三神の総称である。奥の院が美作加茂(岡山県津山市)にある。無事息災、家運隆盛、無傷無病、延命長寿などにご利益があるとされています。
1935年(昭和10年)に田中富三郎が出身地の岡山県苫田郡西加茂村(現・津山市加茂町)にて旧い小さなほこらの荒廃を嘆き再興したのが本社の起源。しかし翌年岡山県特高課から無許可神社で商品広告しているとして自主撤去を求められ、撤去された。戦後ほこらは再建され、神社は大阪中之島の豊国神社隣接地に自費で建立。1961年(昭和36年)に現在地へ移築遷宮された。
サムハラとは不思議の4文字で、身を守ると言われている。これは漢字のような文字であるが、神字であり漢字とは異なる。
東大寺(印西東大寺)(千葉県印西市)、雷山千如寺大悲王院(清賀上人により十転化の功徳があるという)など各地の寺社のお守りの呪文に使用されている。加藤清正は文禄・慶長の役の時、サムハラを武器の刃に彫りつけて信じていたために万死に一生を得たという。
住所 大阪府大阪市西区立売堀2-5-26
枚岡神社
枚岡神社(ひらおかじんじゃ)は、大阪府東大阪市出雲井町7番16号にある神社。金運、仕事運、子授け、安産、病気平癒、交通安全、学業成就などにご利益があるとされています。
枚岡梅林でも有名であり、一帯はかおり風景100選(枚岡神社の社叢)に選定されている。社紋は春日大社と同じ「下がり藤」である。鳥居から、坂道を上り、また46段ほどの階段をのぼり、やっと拝殿にたどり着く。
第一殿に天児屋根大神、第二殿に比売大神(天児屋根大神の后神)、第三殿に武甕槌大神、第四殿に斎主大神(経津主神)を祀る。天児屋根大神・比売大神が元々の祭神で、春日大社に当社から勧請されたので「元春日社」と称される。後に春日大社から武甕槌大神・斎主大神を勧請し、春日大社と同じ神(春日神)を祀ることとなった。
末社の天津地祇社(てんしんちぎしゃ)が最大のパワースポットと言われている。天津神・国津神・八百万神を祀る。階段下の小さな橋と小川も浄化のパワースポット。神津嶽(かみつたけ)にある枚岡神社の奥宮を遥拝する遥拝所も忘れてはならない。境内にはなで鹿があり、なで鹿おみくじも販売されている。
住所 大阪府東大阪市出雲井町7番16号
難波神社
難波神社(なんばじんじゃ)とは大阪府大阪市中央区にある神社。主祭神は仁徳天皇、配祀は素盞嗚尊。反正天皇元年(406)の創建と伝えられ、仁徳天皇、素盞嗚尊(すさのおのみこと)、倉稲魂尊(うがのみたまのみこと)を祀る。
文楽を広めた植村文楽軒(ぶんらくけん)の人形芝居を行ったという歴史をもち、境内には稲荷社文楽座跡の碑が立つ。
境内には、樹齢400年以上という楠、「博労(ばくろ)町のおいなりさん」として親しまれる稲荷神社、金刀比羅神社もある。夏には氷室祭で賑わう。秋祭(例祭)は10月20日。 総合運・諸願成就にご利益があるとされています。
住所 大阪府大阪市中央区博労町4丁目1-3
大念仏寺
大念仏寺(だいねんぶつじ)は、大阪府大阪市平野区にある寺院。融通念仏宗総本山。山号は、諸仏護念院大源山。諸芸上達にご利益があるとされています。
創建は大治2年(1127年)とされ、日本最初の念仏道場である。本尊は十一尊天得如来(絵像)。「十一尊天得如来」とは融通念仏宗特有の呼称で、阿弥陀如来と十菩薩の絵像である。
住所 大阪府大阪市平野区平野上町1-7
太融寺
太融寺(たいゆうじ)は、嵯峨源氏の祖で左大臣・大納言の源融(みなもとのとおる)ゆかりの寺で、大阪市北区に伽藍を構える真言宗(高野山真言宗・準別格本山)の寺院。山号は「佳木山」、院号は「宝樹院」。古くから当寺付近の地名にもなっている。「大融寺」と誤記されることがある。
境内には本堂の他に空海(弘法大師)を祀る大師堂、不動明王を祀る不動堂、多くの女性の信仰を集める淀殿の墓所、その墓所を守るかのように隣には雌神を祀る白龍大社がある。
また、縁結びの神としても信仰を集めており、女性は白龍大神、男性は境内の外れに祀られる龍王大神にお参りするとよいとされている。写経堂では写経会や座禅会の他、桂米朝一門を筆頭に落語会なども催されている。
住所 大阪府大阪市北区太融寺町3-7
天神ノ森天満宮
天神ノ森天満宮(てんじんのもりてんまんぐう)は、大阪府大阪市西成区にある神社。御祭神は菅原道真、末社に天照皇大神、猿田彦命、倉稲魂大神(稲荷大明神)を祀る。安産、学業・受験合格、病気平癒、開運招福にご利益があるとされています。
応永年間(1394年 – 1428年)に北野天満宮の分霊を奉斎。現在の本殿は元禄15年(1702年)に建設されたもの。
境内にある「子安石」は、古くから安産の神として信仰を集める。豊臣秀吉も淀君が懐妊された時に参詣し、無事に秀頼が生まれたという。また紹鴎の森、天下茶屋の仇討供養塔がある。
住所 大阪府大阪市西成区岸里東2-3-19
勝鬘院
勝鬘院(しょうまんいん)は、大阪市天王寺区にある和宗の寺院。山号は荒陵山。本尊は愛染明王で、愛染堂とも呼ばれる。四天王寺別院、西国愛染十七霊場・第一番札所。縁結び・良縁成就・商売繁盛にご利益があるとされています。
勝鬘院の境内には、樹齢数百年といわれる巨大な桂の木に、ノウゼンカヅラが絡みついた木がある。「愛染かつらの木」と呼ばれる。その木の姿を見てみると、男性的な大樹の桂に寄り添う女性的なかずらのように見られ、男女の縁を結んでくれる縁結びの霊木として人気を集めている。この霊木の前で語り合った男女は、何があっても幸せな結末が訪れるという伝説も残っている。
「愛染」という言葉から、染め物屋、アパレル関係者からの信仰も熱く、愛敬の上昇を祈願して芸能人の参拝も多い。
境内にある「愛染めの霊水」を飲むと、愛敬を授かると言われている。また、豊臣秀吉ゆかりの出世白竜明神と願成稲荷明神もある。
「腰痛封じの石」と呼ばれる石がある。背筋を伸ばし、お尻を引いてこの石に深く座り、背もたれの石の突起を背骨のツボを当て、息を吐き出すごとに背骨のツボを押し当てる。これを10回行なうと、腰痛封じに効果があるといわれている。
住所 大阪府大阪市天王寺区夕陽ヶ丘町5-36
生國魂神社
生國魂神社(いくくにたまじんじゃ)または難波坐生国国魂神社(なにはにいますいくくにたまのかみのやしろ)は、大阪府大阪市天王寺区にある神社である。難波大社(なにわのおおやしろ)ともいう。地元では「いくたまさん(生玉さん)」と呼ばれる。
生島大神・足島大神を主祭神とし、相殿に大物主大神を祀る。主祭神二神は宮中でも生島巫(いくしまのみかんなぎ)によって祀られ、歴代の天皇即位の際には国家の祭祀として二神を祀る「八十島祭」が行われた。
7月11・12日に行われる夏祭りは、大阪夏祭りの最初で、子供神輿・枕太鼓が市中を練り歩き、8月11・12日の大阪薪能と共に大勢の見物客で賑わう。縁結び・縁切り・良縁成就・女性守護にご利益があるとされています。
住所 大阪府大阪市天王寺区生玉町13-19
大仙陵古墳
大仙陵古墳(だいせんりょうこふん、大仙古墳、大山古墳とも)は、大阪府堺市堺区大仙町ある日本最大の前方後円墳。周囲の古墳と共に百舌鳥古墳群を構成している。墓域面積が世界最大であるとされる。
宮内庁により仁徳天皇の陵墓と治定されており、百舌鳥耳原中陵(もずのみみはらのなかのみささぎ)との陵号が与えられている。一般的には仁徳天皇陵(にんとくてんのうりょう)または仁徳御陵(にんとくごりょう)と呼ばれる。
住所 大阪府堺市堺区大仙町
南宗寺
龍興山 南宗寺(りゅうこうざん なんしゅうじ)は大阪府堺市堺区にある臨済宗大徳寺派の寺院で三好氏の菩提寺。開山は大林宗套、本尊は釈迦三尊である。
茶人の武野紹鴎、千利休が修行をした、ゆかりの寺であり、沢庵宗彭が住職を務めたこともある。堺の町衆文化の発展に寄与した寺院である。河内飯盛城主・三好長慶(みよしながよし)が父の菩提を弔うため、弘治 (日本) 弘治3年(1557年)、大徳寺90世の大林宗套を開山として創建したものである。創建当時は堺市宿院町付近にあったと伝える。天正2年(1574年)の松永久秀の兵火で焼け、さらに元和元年(1615年)の大坂夏の陣では堺の市街とともに焼失したが、その後、当時の住職であった沢庵宗彭によって現在の場所に再興された。
現存する仏殿、山門などは沢庵の没後、17世紀半ばに整備されたものである。第二次世界大戦で一部の建物を失ったが、境内は江戸時代の禅宗寺院の雰囲気をとどめている。
住所 大阪府堺市堺区南旅篭町東3-1-2
恩智神社
恩智神社(おんぢじんじゃ)は、大阪府八尾市にある神社である。河内国二宮であると伝える。交通安全にご利益があるとされています。
現在の主祭神は、大御食津彦命(おおみけつひこ)、大御食津姫命である。当初は天児屋根命を祀っていたが、後になって枚岡神社に遷座し、現在の祭神を祀ることになる。大御食津彦命は天児屋根命の五世代の孫、大御食津姫命は伊勢神宮外宮に祀られる豊受姫大神の別名であるとされる。
本殿・拝殿の少し北側の境内にある閼伽井戸(清明水)は、弘仁年間(810年頃)に空海(弘法大師)が恩智神社に参詣した折、峡谷の岩底に錫杖を突き立てたときに霊水が湧き出したと伝わっている。天候を予知する清水として知られ、雨の降る前になると赤茶色の濁水が流れ出るといわれている。
神社境内のすぐ下に本社の神宮寺である感応院がある。高野山真言宗の寺院であり、山号は天川山。河内西国第十二番霊場である。
住所 大阪府八尾市恩智中町5丁目
鵜殿のヨシ原
鵜殿のヨシ原(うどののよしはら)とは、大阪府高槻市鵜殿から上牧に広がる淀川右岸河川敷のヨシ原(ヨシの群生地)のこと。宇治川・桂川・木津川が合流し、淀川となる合流地点から5kmほど下った淀川右岸にある。広さ約75ha、長さ2.5km。大阪みどりの百選、関西自然に親しむ風景100選にも選定されている。
昔から多くの歌人に詠まれていて、紀貫之の『土佐日記』にも記述があり、谷崎潤一郎の『蘆刈』の舞台が鵜殿のヨシ原とも言われている。
この鵜殿に生えるヨシは、高さが3mほどの大形のヨシで太く弾力性があり、古くから雅楽の篳篥(ひちりき)の蘆舌として使用されており、1945年(昭和20年)頃までは、毎年100本ずつ宮内庁に献上されていた。今でも宮内庁楽部で使われている蘆舌は、すべて鵜殿産のヨシで作られている。
住所 大阪府高槻市道鵜町1丁目
岡中の楠
岡中の楠(岡中鎮守社のくす)は、大阪府泉南市にある巨木。幹周8.2m、樹高30m、樹齢約800年。大阪府の天然記念物に指定されている。また、背後にある槙(イヌマキ)も大阪府の天然記念物に指定されている。
かってはこの一帯は巨木な森であったが、明治の神社合祀令(1906年)で殆どの巨木は切られてしまい、この大楠と槙だけが残った。「大阪みどりの百選」にも選ばれている。
住所 大阪府泉南市信達岡中618
長居植物園
長居植物園(ながいしょくぶつえん)は、長居公園内にある大阪市立の植物園。
総面積242,000平方メートルの園内に、約1,000種類、61,000本の植物が生い茂っており、大阪の原生林を再現している。大池と小池が真ん中にあり、大池には、50mのレインボーブリッジがかかっている。また園内には、大阪市立自然史博物館と花と緑と自然の情報センターがある。
住所 大阪府大阪市東住吉区長居公園1-23
開運パワースポット自販機
開運パワースポット自販機は大阪府大阪市福島区の新なにわ筋沿いに設置された自動販売機。縁結びや商売繁盛、家内安全や開運・合格祈願などにご利益があるとされています。
周辺では大阪地卵が10円や50円といった激安自販機を展開しており、そのうちの祠の隣に設置された一台に「開運パワースポット自販機だす!」と描かれている。金ピカの塗装に七福神に招き猫などが描かれている。
住所 大阪府大阪市福島区玉川1丁目4-20
上石津ミサンザイ古墳
上石津ミサンザイ古墳(かみいしづみさんざいこふん)は、大阪府堺市西区石津ヶ丘にある前方後円墳。「石津ヶ丘古墳」(いしづがおかこふん)、「百舌鳥陵山古墳」(もずみささぎやまこふん)とも呼ばれる。
百舌鳥古墳群の南部に位置し、大きさは全長約360メートル、後円部径205メートル、高さ約25メートル、前方部幅約237メートル、高さ約23メートルで、日本で3番目の大きさである。後円部が北側に配置され、西側に造り出しを有する。現在の周濠は一重だが、二重目の濠が確認されている。
履中天皇の陵墓に比定され、「百舌鳥耳原南陵」(もずのみみはらのみなみのみささぎ)として、宮内庁によって管理されている。ただし、実際の被葬者は不明。
住所 大阪府堺市西区石津ヶ丘
難波宮跡
難波宮(なにわのみや)は、飛鳥時代・奈良時代の難波(現在の大阪市中央区)にあった古代宮殿。現在、難波宮の跡地の一部は、難波宮史跡公園となり、大坂城の南西に整備されている。
史跡は2種類の方法で示されていて、地表面より一段高くして、石造りで基壇を示すものが神亀3年(726)から造営された後期難波宮、一段低くして赤いタイルを敷き、赤い御影石で柱位置を示し、サザンカの生け垣をめぐらせているものが「大化改新」による難波遷都の後、白雉(びゃくち)元年(650)から造営が始められた難波長柄豊碕宮(なにわながらとよさきのみや)=前期難波宮となっている。また、公園の中央北寄りには、天皇が国家の公式行事をおこなう際に使用したとされる大極殿も復元されており、その上からは大阪城を眺望することができる。
住所 大阪府大阪市中央区法円坂1
自然居士の大いちょう
自然居士の大いちょうは、大阪府阪南市にある巨木。樹高約16メートル、目通り幹周り約4メートル、樹齢約450年。
自然田地区の出身と伝えられる観阿弥作の謡曲「自然居士」(じねんこじ)のモデルになった人物の住居が、この「いちょう」の木の付近にあったとことから、この木を「自然居士のいちょう」と呼ぶようになった。府の天然記念物に指定されている。
住所 大阪府阪南市自然田1680
円珠庵
円珠庵(鎌八幡)は、大阪市天王寺区の神社。大坂冬の陣の際、真田幸村が戦勝を祈願して神木に鎌を打ち込み、鎌八幡大菩薩と称して祈念したところ、真田丸で大勝利をおさめることができた。以来、必勝祈願の神木として崇められる。
江戸時代初期には、国文学者として高名な高僧契沖阿者梨が境内に居を定め、円珠庵と称した。契沖はここで万葉代匠記や和字正鑑要略を著し、国文学の研究に専念したが、同時に深く鎌八幡を信仰した。この頃から「鎌八幡」は祈祷寺として、人々の信仰が広まった。
大正11年に大阪市では初の国の史跡指定を受けたが、霊木を含む境内の大部分は戦災で損壊した。現在の榎は戦災で傷んだ霊木のひこばえから大きくなったもの。病気、因縁、悪運断ち、悪霊を祓う、厄払い、心願成就、合格祈願、学業成就などにご利益があるとされています。
住所 大阪府大阪市天王寺区空清町4-2
慈眼寺
福聚山慈眼寺(ふくじゅさんじげんじ)は、大阪府大東市野崎にある寺院。「野崎観音(のざきかんのん)」「のざきの観音さん」として知られる。本尊は十一面観世音菩薩。宗派は曹洞宗。開運招運縁結び、安産、子育てなどのさまざまなご神徳があるとされている。
江戸時代より続く、有縁無縁問わずすべてのものに感謝を捧げる『野崎参り』で知られ、その期間である5月頭は参拝客で賑わう。人形浄瑠璃や落語の作品を通じても知られている。境内には南條神社や役小角像も鎮座し、神仏習合や修験道の歴史を今に伝えている。
四天王によって守護される本堂には、十一面観音菩薩、普賢菩薩、文殊菩薩が祀られており、平成11年に完成した壁画「花蝶菩薩」には、黄道十二星座が表現されている。本堂周囲には当寺中興の祖と位置付けられる遊女、江口の君(江口の長者)を祀り、婦人病と子授けの御利益があるとされる江口堂や、一番から三十三番まである河内西国霊場すべてを拝むことができるという三十三所観音堂、釈迦の16人の弟子(十六羅漢、じゅうろくらかん)を祀り、北河内の遊び歌において「野崎観音十六羅漢、うちの親父は働かん」とユーモラスに歌われる羅漢堂などがある。ただし、羅漢堂は昭和26年に山崩れによって流失し、羅漢像そのものは修復されたものの、現在あるのは仮設堂である。
境内からは吊り橋を通って河内飯盛山などへ至る登山道があり、休日は登山者も多い。また、毎週日曜日に座禅会が開かれており、毎月18日には写経会が開かれている。
住所 大阪府大東市野崎2-7-1
成田山大阪別院明王院
成田山大阪別院明王院(なりたさんおおさかべついんみょうおういん)は、大阪府寝屋川市にある真言宗智山派の寺院。鬼門よけや交通安全祈願のご利益があるとされています。
千葉県成田市にある成田山新勝寺の別院である。本尊が不動明王であり成田山不動尊という通称で呼ばれている。創建は昭和9年(1934年)。また近畿36不動尊霊場の第28番となっている。
寝屋川市を含む京阪沿線(北河内地域)は大阪の鬼門に相当するため、住宅地としては人気がなく他の私鉄沿線のように宅地開発がなかなか進まなかった。そこで京阪電鉄は成田山新勝寺に大阪別院の建立を依頼し、「この地域に鬼は出ない」ことをアピールするとともに、不評だった「香里遊園地」を枚方に移転させ、跡地に当時としては沿線最高級の住宅街を建設した。このような経緯から、香里園には成田のような門前町的雰囲気はほとんどない。現在でも、鬼門よけとして信仰されているほか交通安全祈願も行っており、人車一体の祈願を行った最初の寺として知られている。本尊の不動明王は木造黒漆塗りで、成田山新勝寺の分霊である。
住所 大阪府寝屋川市成田西町10-1
堀川戎神社
堀川戎神社(ほりかわえびすじんじゃ)は、大阪市北区にある神社である。大阪市内および近畿一円では、大阪市内南部の今宮戎神社および兵庫県の西宮戎神社などと共に商売繁盛の神様として知られている。商売繁盛にご利益があるとされています。
「堀川のえべっさん」として知られ、毎年1月9日から11日にかけて十日戎(とおかえびす)が開催される。境内社の榎木神社(えのきじんじゃ)は地車(だんじり)の形をしており、地車稲荷の通称で知られる。木の神・句句廼知神と稲荷神・宇賀御魂神を祀る。
かつての榎の大木の根元には吉兵衛という老狸が住んでおり、毎夜、決まった時間に地車囃子の真似をしていたと伝えられる。本殿が地車型なのはそのためである。地車稲荷の神使は狐ではなく狸である。願い事が叶うとその夜に地車囃子が聞こえるとされ、願いが叶ったお礼として地車の模型や絵馬を奉納する習わしとなっている。拝殿の左に阪神淡路大震災で破断した石造鳥居に彫刻された福興戎像がある。
住所 大阪府大阪市北区西天満5丁目4-17
杭全神社
杭全神社(くまたじんじゃ)は、大阪市平野区平野宮町にある神社。厄除け・商売繁盛・金運・縁結びなどにご利益があるとされています。
貞観4年(862年)、征夷大将軍・坂上田村麻呂の孫で、この地に荘園を有していた坂上当道が素盞嗚尊を勧請し、社殿を創建したのが最初と伝えられている。以降、建久元年(1190年)に熊野證誠権現(伊弉諾尊)、元亨元年(1321年)には熊野三所権現(伊弉册尊・速玉男尊・事解男尊)を勧請合祀し、後醍醐天皇から「熊野三所権現」の勅額を賜り、熊野権現社の総社とされた。明治になって現在の社名に改まった。
現在、毎月定期的に連歌会が催されている。夏祭り(平野だんじり祭)が毎年7月11~14日に行なわれ、付近の国道25号の走行が規制される。
杭全神社の拝殿前の狛犬は、足に紐が巻きつけられている。これは、家に居つかない人や家出しような人を足止めし、家出をした人が帰ってきたり、居場所がわかったりするおまじないだという。ニ本の紐の一本を狛犬の足に巻きつけ、もう一本を足止めしたい人や家出をした人の履物にくくりつけ、「走人足止め」の祈願をする。
境内には、樹齢約500年の「垂乳根の銀杏(たらちねのいちょう)」と呼ばれる霊木があり、この樹に祈念すると、母乳の出がよくなったり、乳の病が治るといわれている。
住所 大阪府大阪市平野区平野宮町2丁目1−67
磐船神社
磐船神社(いわふねじんじゃ)は、大阪府交野市にある神社。交野市の南端、天野川の渓谷沿いにあり、「天の磐船」(あめのいわふね)とよばれる天野川を跨ぐように横たわる高さ約12メートル・長さ約12メートルの舟形巨岩を御神体としている。「病気平癒」「地域守護」「子孫繁」「交通安全」「航空安全」「諸願成就」などにご利益があるとされています。
本殿はなく、巨岩の前に小さな拝殿があり、南側(上流)に社務所がある。神社の起源は不明であるが、天照国照彦天火明奇玉神饒速日尊(あまてるくにてるひこあめのほあかりくしたまにぎはやひのみこと = 饒速日命)が天の磐船に乗って河内国河上の哮ヶ峯(たけるがみね)に降臨されたとの伝承がある。
交野に勢力を保っていた肩野物部氏という物部氏傍系一族の氏神であり、一族が深く関わっていたといわれている。中世以降は、山岳信仰や住吉信仰の影響を受け、現在も境内には神仏習合の影響が色濃く残されている。神社のすぐ横を磐船街道が通っている。
かつては国道168号線の一部であり、神社付近では道路幅が狭く、すれ違い渋滞の名所だった。川幅も巨岩が跨ぐほど狭く、過去にはたび重なる天野川の氾濫により、社殿・宝物などの流失が続き、防災上のネックとなっていた。1997年(平成9年)に道路改良工事と河川防災工事が竣工し、磐船神社に入る手前で道路と河川がバイパスされ、道路は新磐船トンネルを、河川は天野川トンネルをくぐることとなった。神社付近は昔日の静けさを取り戻している。
住所 大阪府交野市私市9丁目19-1
法善寺
法善寺(ほうぜんじ)は、大阪市中央区にある浄土宗の寺院。山号は天龍山。本尊は阿弥陀如来。そのほか水掛不動(西向不動尊)や金毘羅堂などがあり、特に水掛不動さんは有名である。この寺は千日念仏を行ったことから俗に千日寺と呼ばれた。その寺の前を千日前と呼ぶ。航海や大漁のご利益があるとされています。
1637年(寛永14)の創建以来、大阪庶民の篤い信仰を集めてきた法善寺。しかし、戦災で本堂などは焼失してしまい、現在は焼け残った水かけ不動を中心に、金毘羅天王、お初天神が再建されている。この水かけ不動は、縁結びや恋愛成就、商売繁盛などのご利益を授けてくださるといわれ、境内の井戸から汲まれた水をかけて祈願する。毎日何度も水をかけられているので、全身緑の苔でいっぱいになっている。
住所 大阪府大阪市中央区難波1-2-16
御霊神社
御霊神社(ごりょうじんじゃ)は、大阪市中央区淡ある神社。古来、瀬織津比売神、津布良彦神、津布良媛神を祀り、圓神祠(つぶらしんし)と称していた。厄除け、縁結び、諸事円満成熟、開運招福、商売繁盛、夫婦円満、子孫繁栄のご利益があるとされています。
境内に「肌まもりの木」がある。戦災で境内の木々が焼け焦げてしまう中、唯一再生した楠木で、拝むと肌に良いといわれている。御霊文楽座の碑がある。
住所 大阪府大阪市中央区淡路町4-4-3
高津宮
高津宮(こうづぐう)は、大阪市中央区にある神社である。子宝、安産、子育て、平穏安寧、摂社から合格祈願、学業成就、五穀豊穣、商売繁盛などにご利益があるとされています。
小高い丘に位置する高津宮には「相合坂」と呼ばれる坂がある。明治後期、氏子の土地奉納によりできた坂で、別名「縁結びの坂」。この坂を横から見ると二等辺三角形になっており、南北両方から登れるように階段がついている。男女がそれぞれ南側・北側から登り、ちょうど上で出会うと相性がよいという。ちなみに近くには「縁切り坂」と呼ばれる西坂がある。
住所 大阪府大阪市中央区高津1-1-29
露天神社
露天神社(つゆてんじんじゃ、つゆのてんじんじゃ)とは、大阪府大阪市北区曽根崎二丁目にある神社。お初天神の通称で広く知られている。商業繁栄、交通安全、縁結び、学業などにご利益があるとされています。
社名は、菅原道真が太宰府へ左遷される途中、ここで都を偲んで涙を流したからとも、梅雨のころに神社の前の井戸から水がわき出たためともいわれる。元禄16年(1703年)に境内で実際にあった当神社境内での遊女と手代の心中事件を題材として、近松門左衛門が人形浄瑠璃『曽根崎心中』を書き、そのヒロインであるお初の名前から「お初天神」と呼ばれるようになった。
恋愛成就、縁結びのパワースポットと言われ、恋人の聖地にもなっている。拝殿前の石柱には、太平洋戦争で大阪駅方向から飛来したP-51による機銃掃射の跡が残されている。
住所 大阪府大阪市北区曽根崎2-5-4
一心寺
一心寺(いっしんじ)は、大阪府大阪市天王寺区にある浄土宗の寺であり、正式名称は坂松山高岳院一心寺(ばんしょうざん こうがくいん いっしんじ)。骨仏の寺としてよく知られている。天王寺公園に隣接した上町台地の崖線上に建ち、緑の多い広い境内を有している。法然上人二十五霊跡第七番札所。
盆の間だけの施餓鬼法要が年中無休でできる寺として知られ、また宗旨に関係なく参詣や納骨を受け入れる寺でもあったため、全国から多くの納骨が集まった。1851年に遺骨数万体を集めて最初の大きな骨仏(阿弥陀仏)を作り、1887年以後10年ごとに集まった納骨で骨仏を作っている。
住所 大阪府大阪市天王寺区逢阪2丁目8-69
天照大神高座神社
天照大神高座神社(あまてらすおおみかみたかくらじんじゃ)と岩戸神社(いわとじんじゃ)は、大阪府八尾市大字教興寺にある神社。これら二つの神社は隣接しており、境内の境界線もはっきりせず、参道石段の脇から互いの境内を行き来できる状態であるため、事情のわからない者から見ると別々の神社であることに気が付き難い。
天照大神高座神社の祭殿の脇には「白飯之滝」があり、干ばつでも水が絶えることがないと言われている。
岩戸神社は、天照大神高座神社のすぐ西の脇にあり、本殿も同様に岩盤上に鎮座している。高僧空海が高座神社を参詣中、大神の御託宣により当地に創建されたといわれる。もともとはインドの河神である弁財天(弁才天)を祀っており、仏教色が強かった。
住所 大阪府八尾市大字教興寺550
安居神社
安居神社(やすいじんじゃ)とは大阪府大阪市天王寺区にある神社。安居天満宮ともいう。健康成就、病気平癒、学業成就、金運のご利益があるとされています。
菅原道真が大宰府に流されるときに、風待ちのために休息をとった為にその名がついたという伝承がある。大丸の創業者の下村彦右衛門正啓がよく信仰していたので大丸天神と称されることがある。また、大坂夏の陣で真田信繁が当神社境内で戦死したと伝えられ、境内に戦死跡之碑が、他に古来、名水特に七名水として名を馳せた安居の清水(別名:かんしずめの井)の址などがある。上方落語の「天神山」の噺の舞台としても登場する。
住所 大阪府大阪市天王寺区逢阪1丁目3-24
今宮戎神社
今宮戎神社(いまみやえびすじんじゃ)は、大阪市浪速区にある神社。商売繁盛の神様「えべっさん」として知られ、毎年1月9日から11日にかけて十日戎(とおかえびす)が開催される。十日戎では、拝殿で福笹を授かり、御札と吉兆(きっちょう)と呼ばれる小宝を付ける風習が続いている。
毎年、十日戎で奉仕をする満18歳~23歳の女性が福むすめとして公募で選出される。かなりの高倍率で、応募者は毎年3,000人を超える。アナウンサーの輩出率が高く、過去には進藤晶子・古川圭子・松井愛・福元英惠なども経験した。藤原紀香も今宮戎神社の元福娘である。金運のご利益があるとされています。
住所 大阪府大阪市浪速区恵美須西1丁目6-10
大鳥大社
大鳥大社(おおとりたいしゃ)は大阪府堺市西区鳳に鎮座する神社。埼玉県の鷲宮神社と並んで全国の「大鳥信仰」の本社とされる。和泉国一宮。本殿は大鳥造という独自の古形式を保っている。勝負運や仕事運、開運、交通安全などのご利益があるとされています。
「大鳥大明神(おおとりだいみょうじん)」「大鳥大神宮(おおとりのおおがみのみや)」などともいわれた。現在の正式な社名は大鳥神社(おおとりじんじゃ)であるが、一般には大鳥大社の社名の方が広く使用されている。
日本武尊は西征して熊襲を平定し、東征して東国を平定したが、伊吹山で病に倒れ、伊勢国能褒野で薨去する。遺体はその地に葬られたが、その陵墓から魂が白鳥となって飛んでいき、大和国琴引原で留まり、また飛び立って河内国古市に降りたが、最後に大鳥の地に舞い降りたので、社を建てて祀った。これが大鳥神社の始まりだとされる。神域は千種森(ちぐさのもり)と呼ばれ、白鳥が舞い降りた際、一夜にして樹木が生い茂ったと言われる。
住所 大阪府堺市西区鳳北町1-1-2
出雲大社大阪分祠
出雲大社(いずもたいしゃ)とは、大阪府堺市にある南海高野線初芝駅の南西約800mの市街地に鎮座する神社である。 別名「初芝さん(はつしばさん)」。島根県の出雲大社からの分祠で、縁結び・悪因縁解除などの神様として有名である。縁結び、悪因縁解除などにご利益があるとされています。
住所 大阪府堺市東区日置荘西町7丁1-1
七宝瀧寺犬鳴山不動尊
七宝瀧寺犬鳴山不動尊は、大阪府泉佐野市の真言宗寺院。様々な伝説の残る犬鳴山にある。
淳和天皇(824〜834)の時、天下大早魃があり、諸国の霊山、神社仏閣に祈雨の祈願を命じられた。犬鳴山住侶が本尊不動明王に祈雨の大法を修したところ、泉州一円は慈雨に恵まれた。そこで淳和天皇が、犬鳴山中にある著名な七瀑を金銀などの七宝に因んで、七宝滝寺と命名した。ご本尊様は、倶利伽羅大竜不動明王で、「絶対秘仏」として公開されない。護摩焚きでも知られる。
犬鳴山七宝滝寺は、院号を「白雲院」と呼ばれているが、これには乙女の哀しい物語がある。その昔、淡路の小聖という修験者がいて、しばしば御所へ出入りしているうちに、官女の志津女という美人に想われる身となった。小聖は修行の妨げになるからと志津女を振り切って、犬鳴山中に逃れた。志津女は小聖をあきらめきれず、あとを追って諸国を探し求め、遂に泉州犬鳴山に小聖が修行しているのを風のたよりに聞き、修行僧に一目会うべく犬鳴山まで来た。しかし、険しい渓谷の山路と、飢えと寒さ、そして俄にたちこめてきた白雲によって道を見失い、ついに路傍に悶死した。村人は志津女の死体をねんごろに葬った。
こうした事があってから、犬鳴山に白雲が立ちこめる日は必ず雨が降るので、村人は「志津の涙雨」だと言い、また、倒れていた附近からこんこんと涌き出ている清水を「志津の涙水」と呼ぶようになった。
志津女の墓は、本堂下手100mの附近、参道の傍にあり、その下より今も涙水のように、清水がポトポトと涌き出ている。書院はこの時から、白雲院と呼ばれるようになったと伝えられる。また、一心を込めた願い事がある場合、この水を持ち帰り、毎日飲用すると必ずや願い事が成就するといわれる。プロボクサーの亀田興毅が祈願に訪れたことで話題になった。
住所 大阪府泉佐野市大木8
阿倍王子神社
阿倍王子神社(あべおうじじんじゃ)とは大阪府大阪市阿倍野区にある神社。かつては安倍野王子(あべのおうじ)といい熊野神社の分霊社である九十九王子の一つとされる。厄除け、無病息災、病気平癒などにご利益があるとされています。
仁徳天皇が夢に熊野三山の使いである3つの足の烏を見て、それと同じものが当地(阿倍島:当時、島があったという。)にいたのが始まりといわれる。後鳥羽天皇が熊野御幸をした時は4番目の九十九王子だったが、後戦国時代に戦乱により多くの王子が焼失したため、安土桃山時代には2番目の王子とされ、現在は現存している王子の中で1番目である。しかし、そもそもは5番目の王子であった。大阪府内の九十九王子社で唯一現存している。
住所 大阪府大阪市阿倍野区阿倍野元町9-4
水間寺
水間寺(みずまでら)は、大阪府貝塚市にある天台宗別格本山の寺。山号を龍谷山と称し、本尊は聖観世音菩薩。水間観音とも称される。厄除け・縁結びのご利益があるとされています。
水間寺の愛染堂には、恋愛成就のご利益を授けてくれる「愛染明王」が祀られている。昔、水間の豪農楠右衛門の娘、お夏が山名清十郎に会いたい一心でこの愛染明王に毎夜祈願し、清十郎との恋を成就させたとの話も残っている。お参りの際は、堂脇の縁結びの橋(愛染橋)を渡るのが慣わし。
住所 大阪府貝塚市水間638
石切剣箭神社
石切剣箭神社(いしきりつるぎやじんじゃ)は、大阪府東大阪市にある神道石切教の神社。 病気平癒やできもの・難病封じなどにご利益があるとされています。
通称「石切神社」。俗に「石切さん」として親しまれ、拝殿と神社入口(百度石)の間を行き来する「お百度参り」はご利益があるとして全国的にも有名となっている。また、「デンボ(腫れ物)の神様」として知られ、がん封じの霊験あらたかとして多くの参詣客が訪れる。ただし、腫れ物の治癒に卓効があるとして信仰されるようになったのは昭和時代になってからである。
住所 大阪府東大阪市東石切町1-1-1
金剛寺
金剛寺(こんごうじ)は大阪府河内長野市にある真言宗御室派の大本山である。山号は天野山(あまのさん)。高野山が女人禁制だったのに対して女性も参詣ができたため、「女人高野」とも呼ばれる。女性守護にご利益があるとされています。
住所 大阪府河内長野市天野町996
野間の大ケヤキ
野間の大ケヤキは大阪府豊能郡能勢町にあるケヤキの巨樹。
樹齢1000年と言われ、幹周14m、樹高30m。ケヤキとしては全国で4番目の巨樹と言われる。野間神社の旧蟻無神社境内にあり、御神木として保護されてきた。大阪緑の百選、国の天然記念物に指定されている。
住所 大阪府豊能郡能勢町野間稲地
瓢箪山稲荷神社
瓢箪山稲荷神社(ひょうたんやまいなりじんじゃ)は、大阪府東大阪市瓢箪山町にある神社。日本三稲荷の一つであり、辻占総本社である。祭神は若宇迦乃賣命(保食神)、ほか。金運や商売繁盛、開運、五穀豊穣、良縁(縁結び)などにご利益があるとされています。
創建は天正11年(1584年)。豊臣秀吉が大坂城築城にあたり、巽の方(大坂城の南東)三里の地に鎮護神として伏見桃山城から「ふくべ稲荷」を勧請したことが由緒とされる。現在の本殿は、慶応2年(1866年)に建てられたものである。
神社本殿の背後にある小丘は、通称「瓢箪山古墳」とよばれる、古墳時代後期・6世紀末ごろに作られた双円墳で、山畑古墳群の中で最大・最古のもの。そのヒョウタンに似た形状から、古墳および一帯の地名が「瓢箪山」と呼ばれるようになった。江戸時代から近くの東高野街道において辻占いの風習があったが、明治時代初めごろに宮司が「辻占」を創始し、「淡路島かよふ千鳥の河内ひょうたん山恋の辻占」として日本全国に知られるようになった。
住所 大阪府東大阪市瓢箪山町8-1
安倍晴明神社
安倍晴明神社(あべせいめいじんじゃ)は、大阪市阿倍野区にある阿倍王子神社の境外社(飛び地境内社・末社)。厄除けや病気平癒のご利益があるとされています。
安倍晴明誕生の地とされる。社伝によると、創建は1007年(寛弘4年)、代々晴明の子孫と称する保田家が社家として奉仕し、江戸時代には代々大坂城代が参拝にくるほど有力な神社であったが、幕末には衰微し、明治時代には小さな祠と下記にある石碑のみになってしまったという。しかし明治時代末期になると復興計画が持ち出され、1921年(大正10年)には安倍王子神社の末社として認可された。社家の子孫である保田家より旧社地の寄進を受け、1925年(大正14年)現在の社殿が竣工した。拝殿は三間社入母屋造で本殿は流造である。
安産祈願の「鎮石(孕み石)」、「安倍晴明公産湯の井」、「葛之葉霊狐の飛来像」、「安倍晴明誕生地の石碑」などがある。戦時中には神社内に焼夷弾が落ちるも爆発せず、本殿は被災をまぬがれた。この為、地元では「晴明さんが守って下さった」と評判になり、以来災難除けの神様としても信仰を集めている。
住所 大阪府大阪市阿倍野区阿倍野元町5-16
神峯山寺
神峯山寺(かぶさんじ)は、大阪府高槻市原にある天台宗の仏教寺院。山号は根本山。本尊は毘沙門天。新西国三十三箇所第十四番札所。厄除け・子授け・先勝のご利益があるとされています。
役行者霊蹟札所。日本最初の毘沙門天安置の霊場と言われている。秋には紅葉の名所として知られる。境内奥の「九頭龍滝」がパワースポットと言われる。
住所 大阪府高槻市原3301
坐摩神社
坐摩神社(いかすりじんじゃ)は、大阪府大阪市中央区にある神社。正式な読み方は「いかすりじんじゃ」だが、一般には「ざまじんじゃ」と呼ばれることの方が多い。近世以降、摂津国一宮を称している。安産、子宝(子授け)などにご利益があるとされています。
大阪市の中心部、大阪市営地下鉄本町駅の南にある古い神社である。東本願寺難波別院(南御堂)の後ろ、阪神高速との間にある。境内は東向きで、入口では大小3つの鳥居が横に組み合わさった珍しい「三鳥居」が迎える。
住居守護の神、旅行安全の神、安産の神として信仰され、大阪・船場の守護神的存在である。社紋は白鷺。最終の神階は従五位下。
住所 大阪府大阪市中央区久太郎町四丁目渡辺3号
大江神社
大江神社(おおえじんじゃ)とは大阪府大阪市天王寺区にある神社。四天王寺の鎮守である四天王寺七宮のひとつ。
祭神は豊受大神、素盞嗚尊、欽明天皇、大己貴命、少彦名命。
大江神社には狛虎というものがある。狛虎の由来は不詳であるが、300年以上前の作と考えられている。その昔、狛虎の奥に毘沙門天を祀る堂があり、虎は毘沙門天を護るとされている。狛虎は元々は阿吽で1対をなしていたが、吽形の方が明治初期に某寺に持ち出されてしまったと言われている。現在の吽形は2003年に再建されたものである。
狛虎には阪神タイガースのファンより、メガホン、虎の小さい置物やぬいぐるみなどが供えられていることがある。また、狛虎付近には阪神タイガースの優勝を祈願する張り紙や木札がある。なお、普通の狛犬もある。
住所 大阪府大阪市天王寺区夕陽丘町5-40
金剛山転法輪寺
転法輪寺(てんぽうりんじ)は奈良県御所市高天にある真言宗醍醐派の大本山の寺院。葛城修験道の根本道場でもある。商売繁盛や身体の健康や交通などのご利益があるとされています。
修験道の開祖とされる役小角が16歳のとき金剛山に登って苦修練行を重ねた結果、天智天皇4年(665年)祖神一言主大神を鎮守とし、法起大菩薩を祀る金剛山寺(転法輪寺)を建立して神仏習合の霊山としたのが開創と伝承される。奈良時代より明治維新に至るまで修験道七高山の1つに数えられ、歴代天皇の勅願所として五堂七宇の殿堂輪煥の美を誇った。
住所 大阪府南河内郡千早赤阪村大字千早1009-2
水無瀬神宮
水無瀬神宮(みなせじんぐう)は、大阪府三島郡島本町にある神宮。旧称は水無瀨宮。後鳥羽天皇・土御門天皇・順徳天皇を祀る。境内には、環境庁認定「名水百選」に選ばれた「離宮の水」がある。学業成就、受験合格、試験合格などにご利益があるとされています。
水無瀬神宮は、後鳥羽天皇の離宮水無瀬殿の跡に建立されたものである。承久の乱で隠岐に流されそこで崩御した後鳥羽上皇の遺勅に基づき、1240年(仁治元年)、藤原信成・親成親子が離宮の旧跡に御影堂を建立し、上皇を祀ったことに始まる。1494年(明応3年)、後土御門天皇が隠岐より後鳥羽上皇の神霊を迎え、水無瀨宮の神号を奉じた。
石川五右衛門の「手形」がある。石川五右衛門が、水無瀬神宮の神殿にあるとされた神宝の名刀を盗もうとした際、神威に打たれて足がすくみどうしても門内に1歩も入れず、結局盗む事はできないまま立ち去ってしまった。この時、門柱に非を悟って謝罪する証しとして、この手形を残し立ち去ったという。このことから、水無瀬神宮は盗難よけの神様として信仰を集めている。
住所 大阪府三島郡島本町広瀬3丁目10-24
福島聖天
了徳院(りようとくいん)は大阪市福島区にある東寺真言宗の仏教寺院。山号は如意山。福島聖天、聖天さん、浦江聖天(うらえしょうてん)の名で親しまれている。
洪水のために記録が失われ、創建年月は不明。元文元年(1736年)3月高野山善寿院の僧宥意が入寺して再建を企て、元文4年10月竣功。天保5年(1834年)僧某が堂宇再建し中興。古来伏見宮の祈願所で、本堂に歓喜天を安置する。この歓喜天は浦江がまだ海岸だった折、漁師の網にかかって海中から出現したと伝えられる。昭和20年空襲を受け、山門と稲荷堂を除いて焼失した。
象頭人身の歓喜天(秘仏)は男女和合、縁結びのご利益があるとされ、古来より参拝が多く、特に女性のお参りで賑わっている。境内の亀の池にはカキツバタの花が五月の初旬には色とりどりの花を咲かせ、松尾芭蕉も訪れ「かきつばた語るも旅のひとつかな」と感慨している。
住所 大阪府大阪市福島区鷺洲2丁目14-1
多治速比売神社
多治速比売神社(たじはやひめじんじゃ)は大阪府堺市南区宮山台にある神社。荒山公園に囲まれている。6世紀頃に建てられたと言われ、厄除け・安産・縁結びの神、多治速比売命(たじはやひめのみこと)を祭る。安産、縁結び、厄よけにご利益があるとされています。
住所 大阪府堺市宮山台2丁3-1
法楽寺
法楽寺(ほうらくじ)は、大阪市東住吉区山坂にある真言宗泉涌寺派大本山の寺院。山号は紫金山、院号は小松院と称する。通称として「たなべのお不動さん」とも呼ばれる。厄払いのご利益があるとされています。
伝承によれば、源平の戦乱で戦死した平家と源氏の霊を怨親平等に弔うために、源義朝の念持仏であった如意輪観世音菩薩を安置し、壮麗な伽藍が営まれたことが起源とされる。
境内には樹齢八百年以上の楠の大樹、水かけ不動明王などがある。毎月28日が不動明王の縁日で、多くの参詣者で賑わいを見せている。
住所 大阪府大阪市東住吉区山坂1-18-30
溝咋神社
溝咋神社(みぞくいじんじゃ)は、大阪府茨木市にある神社。式内社で、旧社格は府社。
主祭神は玉櫛媛命 (たまくしひめのみこと)、媛蹈鞴五十鈴媛命 。相殿神として溝咋耳命 (みぞくいみみのみこと)、天日方奇日方命 (あめのひかたくしひかたのみこと) 、速素盞鳴尊 (すさのおのみこと)、天児屋根命 (あめのこやねのみこと)を祀る。創建は不詳。社伝では、第10代崇神天皇の頃に創建されたとしている。
元々は上の宮と下の宮に分かれていたが、現在あるのは下の宮で、上の宮は、安威川を隔てた北側にあった。現在の社殿は、寛保2年(1742年)地元の両替商の米屋喜兵衛(こめやきへい)が造営したものといわれている。大阪の「隠れパワースポット」だという。
住所 大阪府茨木市五十鈴町9-21
清水寺
清水寺(きよみずでら)は、大阪市天王寺区伶人町(れいにんちょう)にある寺院。宗派は天台系の和宗に属する。山号は有栖山であり、詳名は有栖山清光院清水寺(ありすさん せいこういん きよみずでら)である。和宗総本山・四天王寺支院。出世』や『勝負事』、『商売繁盛の成就』や『厄払い』のご利益があるとされています。
大阪市内唯一の天然の滝である「玉出の滝」(たまでのたき)があることでも知られている。京都の清水寺を模して建立されたために、新清水寺(しんきよみずでら)とも呼ばれる。境内の西側の崖に柱を組み上げて作った舞台があり、京都の清水寺を彷彿とさせる。
パワースポットと言われる玉出の滝は、四天王寺金堂地下にあると伝えられる青龍池から流れ出ているという白石玉出の霊水が、300m離れた地下を流れて滝になっているという。聖徳太子御本願縁起に「青龍恒守護麗水東流号日白玉出水以慈悲心飲之為法楽」とあり、霊験があるとされていた。水量はわずかである。
滝の奥にある石窟に石像の不動明王・八大竜王神などを祀り、滝行場となっている。石窟に安置している不動明王は観世音菩薩の化身とされる。なお、現在では、滝の水は衛生上の観点から飲用不可となっている。
住所 大阪府大阪市天王寺区伶人町5-8
難波八阪神社
難波八阪神社(なんばやさかじんじゃ)とは大阪府大阪市浪速区に鎮座する神社。祭神は素盞嗚尊、奇稲田姫命、八柱御子命など。よく「難波八坂神社」と書かれているが、これは誤字である。獅子舞台という大きな獅子の頭の形をした舞台があることで有名である。
住所 大阪府大阪市浪速区浪速区元町2丁目9-19
葛井寺
葛井寺(ふじいでら)は、大阪府藤井寺市藤井寺一丁目にある真言宗御室派の寺院。藤井寺、剛琳寺とも称する。山号は紫雲山。本尊は千手観音。西国三十三箇所第五番札所。
寺伝では神亀2年(725年)、聖武天皇の勅願で行基が創建し、古子山葛井寺(紫雲山金剛琳寺)の勅号を得たとされ、平安時代になって平城天皇の皇子・阿保親王が再興したとされている。
住所 大阪府藤井寺市藤井寺一丁目16番21号
思案石
思案石は、元々大阪府高槻市大手町の本行寺の近くにあった石。歩道の真ん中に鎮座して黄色く塗られていた。
高槻城のお堀へ身を投げて死のうとした人たちが、死ぬ間際にこの石に座って、いろいろと思案したことから、思案石と呼ばれる。この石を撤去しようとしたところ怪我人が続出したなどと言われており、取り除かれずにそのままにされているとされる。黄色い色については、歩道の真ん中にあることからつまずく人が絶えず、市職員が目立つように色を塗ったようである。
2012年3月8日に撤去され、現在は高槻市城内町の『しろあと歴史館』に移され、文化財として展示されている。丁重に供養して移設された後は「良いこと」が続いているという。
住所 大阪府高槻市城内町1番7号
普門寺
普門寺(ふもんじ)は、大阪府高槻市富田町にある臨済宗妙心寺派の寺院。山号は慈雲山。本尊は釈迦如来、十一面千手千眼観自在菩薩。交通安全にご利益があるとされています。
名勝「観音補陀落山の庭」がある。阿武山を借景に池泉式枯山水庭園。京都の桂離宮「天の橋立」と同時期に作成されたと思われており、その石組みが組み込まれている。枯山水としては変わった様式になっている。地形は多少の起伏があり、低い所を水面、やや小高い所を岸または島にみたて、要所に石を組み、石橋を架したまとまりのよい枯山水庭であり、玉渕の作風を知る上で貴重である。昭和56年に名勝として指定されているが、平成12年(2000年)に、方丈や山門、毘沙門堂(旧行者堂)、隠元禅師作と伝えられる黄檗式石畳、普門寺城の遺構とみられる土塁等も庭園の景観に係わるものとして追加指定されている。
住所 大阪府高槻市富田町4丁目9-19
道明寺
道明寺(どうみょうじ)は、大阪府藤井寺市にある真言宗御室派の尼寺。山号は蓮土山。
道明寺周辺は、菅原道真の祖先にあたる豪族、土師(はじ)氏の根拠地であった。道明寺は土師氏の氏寺土師寺として建立され、今の道明寺天満宮の前にあった。当時は七堂伽藍や五重塔のある大規模なものであった。
901年(延喜元年)、大宰府に左遷される道真がこの寺にいた叔母の覚寿尼を訪ね「鳴けばこそ別れも憂けれ鶏の音のなからん里の暁もかな」と詠み、別れを惜しんだと伝えられる。この故事は、後に人形浄瑠璃・歌舞伎の『菅原伝授手習鑑』「道明寺」の場にも描かれている。道真の死後、寺名は道明寺と改められるが、これは道真の号である「道明」に由来する。
1575年(天正3年)には、兵火で天満宮を含む寺の大部分が焼失するが、後に再興。1872年(明治5年)の神仏分離により道明寺天満宮境内から現在地に移転した。和菓子の材料として用いられる道明寺粉は、道明寺の尼が乾燥した糯米(糒)を挽き粉状にしたのが始まりという。
住所 大阪府藤井寺市道明寺1丁目14-31
若宮地蔵尊
若宮地蔵尊(わかみやじぞうそん)は大阪府泉佐野市の地蔵尊。泉佐野新地通り商店街のはずれに位置する。本尊と共に5体の地蔵尊が祀られている。子安地蔵、子育地蔵などとも呼ばれ、地元の人々から篤い信仰を集めている。
住所 大阪府泉佐野市若宮町1-18
瀧安寺
瀧安寺(りゅうあんじ)は、大阪府箕面市箕面公園にある本山修験宗(修験道の一派)の寺院。山号は箕面山(みのおさん)。財運の向上、芸能の上達などのご利益があるとされています。
寺伝によれば658年(一説には650年)に役小角が箕面滝の下に堂を建設し、本尊の弁財天像を安置し、「箕面寺」と命名したのが始まりである。平安時代に後白河天皇が編纂したとされる「梁塵秘抄」には「聖のすみかは何処何処ぞ、箕面よ勝尾よ」と歌われている。後醍醐天皇が隠岐に島流しになった際には、護良親王が当寺に帰還祈祷を依頼したという。その後「瀧安寺」という寺号を賜ったとされる。そのほかにも、山岳霊場として栄え、空海や日蓮や蓮如が修行したほか、現在も護摩法要が行われている。
宝くじの発祥とされる富くじはこの寺院から発祥した。富くじは江戸時代に流行ったものであり、番号が入った富札を発売し、それを同じ番号の木札に授け、期日に箱から札を選び、幸せを授けるというものである。
藤原兼隆の歌によると、約950年前以前から富くじはあったとされ、この寺院の富くじは箕面富と呼ばれていた。富くじで当選した者は、お守り「大福御守」が授けられたという。だが江戸幕府により富くじ禁止令が発令され富くじは中止された。その後2009年に地元住民によって復活した。正月三賀日に富くじが行われる。
住所 大阪府箕面市箕面公園2-23
玉造稲荷神社
玉造稲荷神社(たまつくりいなりじんじゃ)は、大阪市中央区にある神社である。宇迦之御魂大神(稲荷神)を主祭神とし、下照姫命、稚日女命、月読命、軻偶突智命を配祀する。縁結び、恋愛成就、夫婦和合にご利益があるとされています。
社伝によれば垂仁天皇18年(紀元前12年)に創建され、当時は比売社と称していた。蘇我氏と物部氏の戦いの際、蘇我氏方の聖徳太子がこの地に布陣して戦勝を祈願し、戦勝後当地に観音堂を建てたという伝承がある。阪神大震災で基礎が痛み使えなくなった大阪城の鳥居が奉納されている。
境内には「なで子持曲玉石」と呼ばれる曲玉(勾玉)がある。形が胎児に似ていることから、御魂の増殖につながるものとして、子授け・子孫繁栄の信仰を集めるようになった。この「なで子持勾玉石」を触りながら子授け祈願をすると、子宝に恵まれるという。
住所 大阪府大阪市中央区玉造2丁目3-8
箕面滝
箕面滝(みのおたき、みのおのたき、みのおだき)は、大阪府箕面市の明治の森箕面国定公園内にある滝である。箕面大滝ともいう。日本の滝百選の一つに選定されている。
古くは修験道の道場であった。「箕面」の名は木々の間から流れ落ちる姿が蓑に似ていることから付けられたとか、周辺に「尾」のつく地名が多いことから水尾から転じたとも言われている。年間200万人以上の観光客が訪れる箕面公園は紅葉の名所であり、秋には特に多くの人で賑わう。
住所 大阪府箕面市箕面公園
高貴寺
高貴寺(こうきじ)は、大阪府南河内郡河南町平石にある高野山真言宗の仏教寺院。山号は神下山。開山は役行者で、文武天皇の勅願によるといわれている。良縁のご利益があるとされています。
河内高貴寺縁起によると、役行者が草創した二十八箇所の修験霊場のひとつで、古くは底筒男命が降臨した地として、神下山香花寺と称した。
高貴寺のご本尊は、弘法大師作の弁財天。「婦徳を守り福徳を授ける」といわれ、良縁のご利益があると言われている。特に最近では、出会いと恋愛のパワースポットとして、若い女性に注目されている。高貴寺の弁天様は、毎年4月26日にご開帳される。
住所 大阪府南河内郡河南町平石539
岸城神社
岸城神社は、大阪府岸和田市の神社。岸和田城の鎮守神社として知られる神社で、1361(正平17)年頃、農民が五穀豊穣を祈って築いたのが始まりとされ、地元住民からは「岸城さん」と呼ばれ親しまれている。約300年の伝統を誇る、勇壮な「岸和田だんじり祭」はこの神社の例祭で、14台がこの神社に宮入りする。また、岸城神社は縁結びの神としても篤い信仰を得ている。昔、岸和田城は「ちぎりの城」といい、その鎮守神であった岸城神社は「ちぎりの神」と呼ばれていた。男女の縁をはじめ、良い友人に恵まれ、世の中の人々との和合を深めてくれる神様とされている。岸城神社で授けられるお守り「ちぎりの糸」は、男性は赤い糸、女性は白い糸を衣服に縫うと縁が深まるといわれ、恋人のいない人は納所に紅白の糸を結べば良縁に恵まれるという。注目の恋愛パワースポット。出世開運や仕事成就などのご利益があるとされています。
住所 大阪府岸和田市岸城町11-30
豊崎神社
豊崎神社(とよさきじんじゃ)は大阪府北区に鎮座する神社。御祭神は孝徳天皇。素盞嗚尊、應神天皇を配祀する。地域守護や国家安寧のご利益があるとされています。
大化の改新(645年)後、遷都された難波長柄豊碕宮の旧跡地とされている。孝徳天皇の崩御後、松林となり果て、八本松と呼ばれたこの地を哀れんだ一条天皇が、藤田重治にこの地の開発を命じた。松林に小さな祠を建て、孝徳天皇を祀ったことが起こりだという。
住所 大阪府大阪市北区豊崎6丁目6-4
茨住吉神社
茨住吉神社は、大阪市西区の神社。寛永元年(1624)に九条島の土地が開発されたのを機に代官香西皙雲とともに土地守護を祈って、開発者の池山新兵衛がこの地に住吉の四神の分霊を勧請(迎え祀ること)し往来船舶の安全を祈ったのに始まる。大楠は樹齢三百年とも言われる。
住所 大阪府大阪市西区九条1丁目1-9
観心寺
観心寺(かんしんじ)は、大阪府河内長野市にある高野山真言宗の寺院である。山号を檜尾山と称する。本尊は如意輪観音、開基(創立者)は実恵である。 厄除けなどにご利益があるとされています。
伝承では、大宝年間(701-704)、役小角(えんのおづぬ、役行者)が開創し、当初雲心寺と称したとされる。その後、大同3年(808)、空海がこの地を訪れ、北斗七星を勧請(かんじょう)したという。これにちなむ「星塚」が現在も境内に残る。弘仁6年(815)、空海は再度この地を訪れ、自ら如意輪観音像を刻んで安置し、「観心寺」の寺号を与えたという。
「空海が自ら刻んで」云々の話は伝承の域を出ないが、現在金堂本尊として安置される如意輪観音像は、様式的に9世紀の作品とされている。また、観心寺には奈良時代にさかのぼる金銅仏4体が伝来することから、奈良時代草創説もあながち否定はできない。
住所 大阪府河内長野市寺元475
今宮廣田神社
今宮廣田神社は大阪府大阪市浪速区の神社。今宮戎神社の北、約100mに位置する。御祭神は天照太神。もと四天王寺の鎮守で今宮村の産土神である。境内は江戸時代には広田の杜といわれ、欝蒼とした森であったという。
住所 大阪府大阪市浪速区日本橋西2丁目4-14
大宮神社
大宮神社(おおみやじんじゃ)は、大阪府大阪市旭区大宮3丁目にある神社。方除け、厄災除け、家内安全、商売繁盛などにご利益があるとされています。
伝承によれば、寿永元年(1185年)2月、平家追討の最中に源義経がこの地で宿を取ったところ、宇佐八幡神の霊夢を見、目覚めると梅の木に鏡がかかっていた。それを手にした義経は軍神であり源氏の氏神でもある八幡神の力を得たとばかりにその鏡を奉じて平家を打ち滅ぼした。このことを後鳥羽天皇に奏上して神社建立を許され、この地に大宮八幡宮を建立した。摂津誌には「南島神社」と記されている。
天正11年(1583年)、豊臣秀吉によって大坂城が築かれた際は大坂城の鬼門守護神とされ、境内の整備がおこなわれて秀吉の保護を受けた。毎年正月、五月、九月には幣帛を献じられ大いに栄えた。
江戸時代にも引き続いて大坂城の鬼門守護神とされ、大坂城代の交代時には当社への参拝が行われた他、毎年正月には初穂料、五月、九月には大幣を献じられたが、社殿などは年を追って衰微していった。それでも天明・寛政の時代には祠官廣渕肥後守善直が社殿・境内の復旧に努め、従五位下に叙せられた。明治時代の末期には近隣の神社7社を合祀し、明治45年(1912年)4月には大宮八幡宮の名称を改めて大宮神社となった。
住所 大阪府大阪市旭区大宮3-1-37
天水分豊浦命神社
天水分豊浦命神社は、大阪府大阪市住吉区の神社。家内安全、夫婦和合、子宝・安産、厄災除けなどにご利益があるとされています。
住所 大阪府大阪市住吉区沢之町1丁目10-4
三之宮神社
三之宮神社は、大阪府枚方市の神社。社伝によれば、341年(仁徳天皇29年)の創建とされ、古くは穂谷、津田、芝(尊延寺)、杉、藤坂の5ヵ郷の鎮守社であった。大阪城の鬼門除けの交野三の宮として、豊臣秀頼により再興された。
御祭神は素盞雄大神、御食津大神、大国主大神、仁徳天皇。社殿の裏には御神体の巨石がある。岩の形状から、三宮屋形大明神とも称されていた。雨乞いの神様でもあり、往時の献灯も境内に残っている。
住所 大阪府枚方市穂谷2丁目6-2
少彦名神社
少彦名神社(すくなひこなじんじゃ)は、大阪市中央区道修町二丁目にある神社。別称として、道修町の神農(しんのう)さん、神農さん。健康成就や病気平癒などにご利益があるとされています。
祭神は薬・医療・温泉・国土開発・醸造・交易の神であるが、少彦名神社では、薬の神として健康増進、交易の神として商売繁盛の御神徳があるとされている。
薬にゆかりのある祭神を祀っていることから、医薬業に携わる会社・関係者などの信仰を集めている。また、病気平癒・健康祈願や医薬業関連の資格試験合格を願う参詣者も多い。
住所 大阪府大阪市中央区道修町2丁目1-8
茨住吉神社
茨住吉神社(いばらすみよしじんじゃ)は、大阪市西区の神社。安産祈願にご利益があるとされています。
池山新兵衛の勧請になるもので、勧請先は、大阪の住吉大社とも、神戸の住吉神社ともいわれるが、茨の文字を冠したのは、当時この地域に茨が群生していたためとも、摂津国菟原郡(神戸)から勧請したため、訛って茨の文字を冠したのだろうともいわれている。
住所 大阪府大阪市西区九条1丁目1-17
生根神社
生根神社(いくねじんじゃ)は、大阪府大阪市西成区玉出にある神社。洪水で流された西宮神社の神体が当地に流れ着きこれを祀っていたが、西宮神社に神体を返還した後も分霊を奉祀したのが当社の創建であるという。中風除け、ボケ祓いにご利益があるとされています。
生根神社には、「だいがく」が伝えられている。だいがくは漢字表記では「台楽」または「台額」となり、古来から雨乞い神事に使用された、高さ約20mの柱に約70個の提灯を飾り付けた櫓のことである。現存する「だいがく」は生根神社に保存されている1基のみ。7月24日-25日にかけておこなわれる夏祭りの2日間のみ公開される。
こつま南瓜塚は、当地産のかぼちゃを記念した塚。生根神社のある「玉出」という地名は、古名を勝間(こつま)村と言い、これに由来する。中風除け、風邪除けとして冬至にはよく食べられたという。冬至に勝間南瓜神事が行われ、参拝者に振舞われる。
また境内には、江戸時代、元築前橋にあった黒田藩大阪屋敷に奉祀されていた築紫天満宮の天神牛がある。廃藩置県で大阪の屋敷が取り壊しの際、生根神社に合祀され、天神牛も祀られることになった。
住所 大阪府大阪市西成区玉出西2丁目1-10
大威徳寺
大威徳寺(だいいとくじ)は大阪府岸和田市にある天台宗の仏教寺院。紅葉の名所として名高い牛滝山の山中に位置する。
修験道の開祖役行者(役小角)が牛滝山に開いたと伝承される山岳寺院で、古来、葛城修験道の霊場として尊崇を集めてきた。寺号は、比叡山の学僧であった恵亮が、境内にある「三の滝」での修行中に滝の中から牛に乗った大威徳明王が現れたのを見、その姿を彫って本尊として祀ったことが由来とされる。
空海も当山で修行をし、多宝塔などを建立したと伝える。多宝塔は室町時代に再建された後、戦国時代の兵火を潜り抜けて、現在に伝わっている。かつては真言宗と天台宗の兼学寺院であった。かつては多くの子院を有し、真言系の本坊と、恵亮の流れを汲む天台系の穀屋坊との間で開基をめぐる争いもあったが、明治45年(1912年)に至り本坊も天台宗となった。室町時代建立の多宝塔は国の重要文化財に指定されている。
住所 大阪府岸和田市大沢町1187
上新田天神社
上新田天神社(かみしんでんてんじんしゃ)は大阪府豊中市に鎮座する神社。「千里天神(せんりてんじん)」「千里の天神さん」と通称される。
住所 大阪府豊中市上新田1丁目17-1
泉殿宮
泉殿宮(いづどのぐう)は、大阪府吹田市南部に鎮座する神社。宇迦之御魂大神・建速須佐之男大神・住吉大神・春日大神を祀る。古来は宇迦之御魂大神のみを祀っていた。
貞観11年(869年)に当地が長く旱魃に見舞われた際、折りしも王城の守護神として平安京に迎えられようとしていた建速須佐之男大神の神輿が当宮に滞在していた。里人は建速須佐之男大神を相殿とした上で降雨を祈ったところ、たちどころに驟雨がもたらされ、旱害から救われた、と伝えられる。
またこの時、境内に清水が湧出したという。明治22年(1889年)この清水はミュンヘンにて「ビール醸造に最適」と評価され、大阪麦酒(現在のアサヒビール)が当宮付近に進出した。湧水は昭和30年代に枯渇したが、境内に残る「泉殿霊泉」はその遺構とされる。
住所 大阪府吹田市西の庄町10-1
住吉神社
住吉神社(ねや川戎)は、大阪府寝屋川市の神社。古来三社大明神と称し、息長足姫命(住吉大神)・武甕槌命(春日大神)・事代主命(戎大神)の三柱が御鎮座され、古来より三社大明神として親しまれてきた。
新年一月に行われるねや川戎大祭(ねや川のえべっさん)は、毎年福を求めて10万人を越える参拝客で賑わう。家内安全や商売繁盛、縁結びのご利益があるとされています。
住所 大阪府寝屋川市木田町6-10
大聖勝軍寺
大聖勝軍寺(だいせいしょうぐんじ)は大阪府八尾市の旧奈良街道に面して建つ真言宗の仏教寺院。山号は神妙椋樹山。開基は聖徳太子、本尊は植髪太子(聖徳太子)である。聖徳太子建立三太子の一つで、叡福寺の「上の太子」、野中寺の「中の太子」に対して、「下の太子」と呼ばれている。地元では太子堂とも呼ばれている。 587年、崇仏派の聖徳太子が俳仏派の物部守屋との戦いで「いまもし我をして敵に勝たしめば、かならずまさに護世四天王の、おんために寺塔を建つべし」(日本書紀)と祈願して戦勝したことから、戦後間もなく四天王を祭るための寺院として摂津国大阪 難波(大阪市天王寺区)の四天王寺とともに、当寺の太子堂が建立された。
住所 大阪府八尾市太子堂3-3-16
信太森葛葉稲荷神社
信太森葛葉稲荷神社(しのだもりくずのはいなりじんじゃ)は、大阪府和泉市葛の葉町、JR北信太駅の西南約300mの市街地に鎮座する神社である。信太森神社(しのだもりじんじゃ)、葛葉稲荷(くずのはいなり)などともいう。本殿の外に拝殿・神饌所を有し、末社に楠木神社・厳島神社・白狐社を持つ。また狐塚があったとされる。安倍晴明所縁の社。
文学・歌舞伎などで知られる『葛の葉物語』の舞台となった場所で、清明の母、白狐が住んでいたと伝えられる。豊穣・商売繁盛の他、学徳成就・良縁祈願・安産祈願・子宝・夜泣き・交通安全に御利益がある。
境内には白狐が葛の葉に化身した時、鏡に代えて自分の姿を映したと言う「姿見の井戸」がある。葛の葉が無事森に帰ってきたことから、この井戸に姿を映して交通安全を祈願する。境内には樹齢2000年ともいわれる、巨大な楠があり、根元から2つに分かれていることから「夫婦楠」とも呼ばれる。夫婦円満、良縁成就のご利益があるといわれている。子宝(子授け)、安産、良縁などにご利益があるとされています。
住所 大阪府和泉市葛の葉町2
中井神社
中井神社は、大阪市東住吉区の神社。厄災除け、病魔退散、身体壮健、
この神社の前にある清水が沸く井戸を、村人が「穢れのない霊泉」として大切にしたことから、「中野村の井戸がある処の神社」という意味で「中井神社」と社名を改められたと言われる。
住所 大阪府大阪市東住吉区針中野2丁目
石津太神社
石津太神社(いわつたじんじゃ)は、大阪府堺市西区にある神社である。旧社格は村社。五穀豊穣・大漁満足・商売繁盛・
住所 大阪府堺市西区浜寺石津町中4丁12-7
施福寺
施福寺(せふくじ)は、大阪府和泉市にある天台宗の仏教寺院。通称槇尾寺(まきおでら、まきのおでら)。山号は槇尾山(まきのおさん)。本尊は弥勒菩薩(札所本尊は千手観音)。槇尾山の山腹に位置する。西国三十三箇所観音霊場の第四番札所である。
住所 大阪府和泉市槙尾山町136
總持寺
總持寺(そうじじ)は、大阪府茨木市にある高野山真言宗の寺院。山号は補陀洛山 (ふだらくさん)。西国三十三箇所第22番札所。本尊は千手観音。
住所 大阪府茨木市総持寺1丁目6番1号
弓削神社
弓削神社(ゆげじんじゃ)は、大阪府八尾市にある神社。付近に勢力を保持していた物部氏の一族である弓削氏の氏神である。鎮魂祈願、病気平癒、
八尾の弓削神社は、JR志紀駅・長瀬川を挟んで2箇所あり、東側の東弓削一丁目にある弓削神社と西側の弓削町一丁目にある弓削神社の二社一対で二座にあてている。両社とも式内大社である。なお、鎮座地は弓削が旧河内国志紀郡、東弓削が旧河内国若江郡にあたり、延喜式神名帳には若江郡の式内社と記載されている。
住所 大阪府八尾市弓削町1-36
方違神社
方違神社(ほうちがいじんじゃ)は、大阪府堺市堺区北三国ヶ丘町2丁2-1にある神社。厄除け、病気平癒、方違え、方災除け(方除け)、旅行、交通安全、転居にご利益があるとされています。
住所 大阪府堺市堺区北三国ヶ丘町2-2-1
八坂神社
寝屋川八坂神社は、大阪府寝屋川市の神社。御祭神は、素盞鳴尊(スサノオノミコト)。明治元年(1868年)に八坂神社と改称する以前は、牛頭天王社や祇園社などと呼ばれていた。
境内には、寝屋川市が保存樹に指定した4本の楠の木の他、15本の楠がある。最も大きなものは、高さ約15m82cm、周囲約7m、樹齢は650年以上と推定されている。
住所 大阪府寝屋川市八坂町1113
舎利尊勝寺
舎利尊勝寺は大阪市生野区の寺院。正しくは、南岳山舎利尊勝寺という。寺伝によれば、約1400年前、聖徳太子の創建と伝わる。
境内には、幕末の1852年(嘉永5年)に32代住職幸道により、西国三十三カ所観音霊場が再現されている。
住所 大阪府大阪市生野区舎利寺1丁目
鵲森宮
鵲森宮(かささぎもりのみや)は、大阪府大阪市中央区にある神社である。式内社で、旧社格は府社。通称を森之宮神社(もりのみやじんじゃ)といい、周辺の地名である森之宮の由来となっている。
聖徳太子は物部守屋との戦いの戦勝を祈願し、勝った暁には四天王を祀ることを誓った。戦勝後の崇峻天皇2年(589年)7月、まず両親を現在地に祀って寺の鎮守とし、その森に四天王を祀る寺(元四天王寺)を創建した。四天王寺はその25年後に現在の荒陵山に移転したが、当社はそのままとされた。
『日本書紀』の推古天皇6年夏4月に、聖徳太子の命により新羅へ渡った吉士盤金(きしのいわかね)が2羽の鵲を持ち帰り、難波の杜で飼ったという記述がある。その「難波の杜」は当社の森であるとされることから「鵲の森」と呼ばれるようになり、ついには当社の社名となったと伝える(「難波の杜」は、他に生國魂神社なども比定地となっている)。
住所 大阪府大阪市中央区森ノ宮中央1丁目14-2
教宗寺
教宗寺(きょうそうじ)は大阪府高槻市にある浄土真宗本願寺派寺院。田淵久兵衛教宗が親鸞上人の弟子となって了専と名のり、弘安10年(1287年)に自宅を寺院に改めたのが教宗寺の創始と伝えられている。
境内にある市蛭子大神宮(いちえびす)は、安産の宮と呼ばれる。田淵家の先代が門前の西国街道に市場を立て、伝教大師がたまたま同家に泊まられたので、市場の繁栄を祈る守護神を切望。大師は一夜のうちに蛭子・大黒の立像を彫刻されて与えた。喜び自邸の傍らに宮を建てて市蛭子として崇めると、霊験著しく市場は大いに繁昌した。その後、衰退し、田淵了専が教宗寺の守護神として崇めていると、ご神体が盗まれ、蛭子は数日後に戻るものの大黒天は戻らなかった。神勅により石を納めて石大黒としていると、その石は分身して貞享の頃には2個、享保の頃には5個となり、ついには7個となった。これにより安産の宮と呼ばれるようになったという。境内にある松の古木は、地面に接している部分は殆ど樹皮だけになっているが、生育している。
住所 大阪府高槻市芥川町4丁目6-3
布忍神社
布忍神社(ぬのせじんじゃ)は大阪府松原市にある神社。御祭神は速須佐男之尊(はやすさのおのみこと)、八重事代主之尊(やえことしろぬしのみこと)、建甕槌雄之尊(たてみかづちおのみこと)。病気平癒、厄除け、恋愛成就などにご利益があるとされています。
「布忍」という地名は日本書紀にもある布忍入姫命(ぬのしいりびめのみこと、日本武尊の娘のひとり)に由来するという。現代美術のアーティスト・イチハラヒロコ氏とのコラボレーションによる異色のおみくじがある。
住所 大阪府松原市北新町2丁目4-11
佐井寺
佐井寺(さいでら)は大阪府吹田市の寺院。山田寺(さんでんじ)とも号する。玄奘三蔵について修行した道昭が677年に草創したといわれる。事業成功、家内安全、地域安全、厄災除けなどにご利益があるとされています。
本堂前に「佐井の清水」という寺の名前の由来となった井戸があり、現在も湧水が湧き出ている。この清水は、奈良時代の僧侶・行基の祈祷により、湧水したといわれる霊水を引いたものといわれている。かつては「お香水」と呼ばれ、病気の快復、特に「眼病」に効き目がある霊水として信仰される。今日でも眼病平癒のご利益を授かりに、多くの方が佐井の清水を求めてご参拝に訪れる。
また、境内にある薬師堂では、土用の丑の日になると疫病神や邪霊などをきゅうりに封じ込めて病気平癒を願う「きゅうり加持」が行われている。慶安2(1649)年に京都所司代の板倉重宗が、佐井の清水で母の眼病が治ったことから寄贈したものと伝えられる鐘楼がある。
住所 大阪府吹田市佐井寺1-17-10
三島神社の薫蓋樟
三島神社は大阪府門真市の神社。薫蓋樟(くんがいしょう)は三島神社にあるクスノキの巨木。幹周12.5m、樹高24.4m、樹齢1000年。大阪府最大の幹周の巨樹で、国指定の天然記念物。金運アップのご利益があるとされています。
住所 大阪府門真市大字三ツ島1374
西江寺
西江寺(さいこうじ)は、大阪府箕面市箕面公園にある高野山真言宗の寺。聖天宮西江寺(しょうてんぐうさいこうじ)とも称する。箕面滝に行く途中にある。地元では「みのおの聖天さん」と呼ばれ親しまれている。縁結びにご利益があるとされています。
寺伝によれば、658年に役小角(役行者)によって開山されたという。ある日、光の中から老翁に化身した大聖歓喜天が現れ、役小角はこの箕面山を日本最初の歓喜天霊場としたという。
かつては、摂津国神宮寺と称していたが、明治時代末期に聖天宮西江寺と改称した。本堂には役行者作と伝承する大聖歓喜天像が祀られている。また、室町時代中期に作られたと伝えられる大黒天も祀られている。
住所 大阪府箕面市箕面2-5-27
美具久留御魂神社
美具久留御魂神社(みぐくるみたまじんじゃ)は、大阪府富田林市(旧 喜志村)にある神社である。式内社で、旧社格は郷社。
住所 大阪府富田林市宮町3丁目2053
阪急三番街北向地蔵尊
阪急三番街北向地蔵尊は、大阪府大阪市北区の阪急梅田三番街にある北向地蔵尊。明治26年に付近の畑から彫り出された自然石の地蔵尊。病気にご利益があるとされています。
住所 大阪府大阪市北区芝田1丁目
大乗坊
大乗坊(だいじょうぼう)は大阪市浪速区日本橋にある高野山真言宗の仏教寺院。
もと天王寺牛が崎にあった崑崙山宝満寺の子院で、新坊と称したが、天文(1532年 – 1555年)・天正(1573年 – 1592年)の頃、再三の戦火を罹り、秀言律師が本尊を奉じて各地に流寓し、本坊は廃絶となり、難波の地に大乗坊のみ再建された。 文禄(1592年 -1596年)の頃、宝及律師が船場の豪商灰屋善兵衛の別荘を寺とし、現在地に移転。 万延年間(1860年 – 1861年)には堂島の米問屋二川家の寄進により寺勢大いにあがり、長町の毘沙門堂と親しまれる。 昭和20年(1945年)の空襲で堂宇は全焼。大阪七福神めぐりの1つ。
住所 大阪府大阪市浪速区日本橋3丁目6-13
機物神社
機物神社(はたものじんじゃ)は、大阪府交野市にある神社。七夕に関する伝説で知られる神社である。祭神の天棚機比売大神は織姫にあたる。
住所 大阪府交野市倉治1丁目1-7
大仙公園
大仙公園(だいせんこうえん)は、大阪府堺市堺区にある都市公園。南北を大仙陵古墳(仁徳天皇陵)、ミサンザイ古墳(履中天皇陵)に挟まれており、園内にも小古墳が点在している。
もともとは、寛永年間に幕府代官高西夕雲と堺の豪商木地屋庄右衛門によって開発された「夕雲開」と呼ばれる新田であった。茶室「伸庵」「黄梅庵」、日本庭園などの施設がある。
住所 大阪府堺市堺区百舌鳥夕雲町2丁142-1
久米田寺
久米田寺(くめだでら)は、大阪府岸和田市にある高野山真言宗の寺院。山号は龍臥山(りゅうがさん)。院号は隆池院。本尊は釈迦如来。
住所 大阪府岸和田市池尻町934
孝恩寺
孝恩寺(こうおんじ)は大阪府貝塚市にある浄土宗の仏教寺院。山号は慈眼山。本尊は阿弥陀如来。
住所 大阪府貝塚市木積798
安祥寺
安祥寺は、大阪府大阪市の天台宗寺院。
住所 大阪府大阪市旭区中宮5丁目14-5
八劔神社
八劔神社(やつるぎじんじゃ)は、大阪市城東区の神社。応永3年(1396年)の創祀と伝えられ、速素盞鳴尊(はやすさのおのみこと)・水波能売神(みずはのめのかみ)を祭神とする。
応永のはじめのある夜、鴫野村住民の夢の中に一人の老翁が現れ、「吾は熱田の神なり、跡を此の地に垂れんと欲す。明日汝等出て来て吾を淀川の辺に迎えよ」とのお告げがあったので、翌日、村民十数人を呼んで河辺に来ると小蛇が陸に上がって来た。その姿は大変悠々としていて、一同がこれに従って行くと、小蛇は川を越えて当地に入り、その留まったところに小さな祠を建てて祀った。これが八劔神社の始まりとされている。
また、八劔神社は、宮相撲が盛んで、境内に昭和36年に建てられた「郷土宮相撲米川部屋頭取碑」がある。災難除けにご利益があるとされています。
住所 大阪府大阪市城東区鴫野東3丁目31-8
三光神社
三光神社(さんこうじんじゃ)は、大阪府大阪市天王寺区玉造本町の宰相山公園にある神社である。天照大神・月読尊・素戔嗚尊を祀る。大阪の陣の際、真田幸村が大阪城からの抜け穴(地下道)を設けたことで有名な神社。境内には抜け穴跡の史跡や幸村像が残されている。桜の名所としても知られ、大阪七福神「寿老神」にあたる。また、全国でも中風除けの神を祀る唯一の神社で、毎年6月1日~7日には中風除祈願大祭が開催される。病気平癒(中風病除)、長寿、金運のご利益があるとされています。
住所 大阪府大阪市天王寺区玉造本町14-90
開口神社
開口神社(あぐちじんじゃ)は、堺市堺区にある神社である。通称「大寺」(おおてら)。地元では「大寺さん」とよばれ親しまれている。堺南組(大小路・竪川以南)の氏神社。式内社で、旧社格は府社。通称の「大寺」はかつて存在した神宮寺の念仏寺に由来する。念仏寺の開山は744年(天平16年)で行基による。山号は密乗山。平安期には空海や空也とゆかりがあり、密教や浄土教の道場にもなって活況を呈したことから、大寺の通称が定着するに至った。安産祈願のご利益があるとされています。
住所 大阪府堺市甲斐町東2丁1-29
百舌鳥八幡宮
百舌鳥八幡宮(もずはちまんぐう)とは、大阪府堺市北区百舌鳥赤畑町にある神社である(宗教法人名は百舌鳥神社)。約一万坪の境内の中には大阪府の天然記念物に指定されている樹齢約800年の巨大なクスノキが茂る。創祀は、欽明天皇(532-571)の頃、八幡神の宣託をうけてこの地を万代(もず)と称したのがきっかけと伝わる。例祭は旧暦8月15日、中秋の名月にあたる日に行われる「月見祭」。ふとん太鼓が使われる事でも有名である。厄除け・開運にご利益があるとされています。
住所 大阪府堺市百舌鳥赤畑町5丁706
陶荒田神社
陶荒田神社(すえあらたじんじゃ)は、大阪府堺市中区に所在する神社で、和泉国大鳥郡の式内社。須恵器(日本の陶器の祖)の発祥地に鎮座しており、別名、陶器大宮と呼ばれている。陶器のえびす様として有名で、1月の初戎祭には、技術・製造業・商売にかかわる業者達でにぎわう神社である。名前の由来は、同じ陶邑の大田の森に住む「荒田直」(あれたのあたひ)にあやかってつけられた。荒田直は祭神である高魂命の直系の子孫だったとされている。子授けのご利益があるとされています。
住所 大阪府堺市上之1215
西琳寺
西琳寺(さいりんじ)は大阪府羽曳野市にある高野山真言宗の仏教寺院。山号は向原山。本尊は薬師如来立像。
住所 大阪府羽曳野市古市2‐3‐2
市軸稲荷神社
市軸稲荷神社社(いちじくいなりじんじゃ)は、大阪府豊中市の神社。大正十五年伏見稲荷の御文霊を勧請し、刀根山の地主神である市軸大神と合わせてお祀りしたのが始まりとされる。「市軸稲荷」として親しまれる。特に、難病平癒・商売繁盛・狐狸憑祓のご利益がある。末社の「与吉大神」は狸の神様で、一願成就の神様として名高い。また、2月3日の節分祭のときは、神殿前の鳥居に「お多福のくぐり門」が付けられる。参拝する時は、観音開きになっている口の部分から入る。口の部分の観音開きの扉に、左右15本ずつ大根が束ねてつるされる。「頭いた、頭いた、頭いた」と3回唱えながらくぐり、大根にかんざしを刺して奉納すると願いが叶う、と言い伝えられている。商売繁盛や家内安全のご利益があるとされています。
住所 大阪府豊中市刀根山2丁目2-33
東光院
東光院(とうこういん)は、大阪府豊中市にある曹洞宗の寺院。山号は仏日山。本尊は薬師如来。境内に萩が植えられ「萩の寺」とも称される。新西国三十三箇所第12番札所である。勝負をかける出世開運にご利益があるとされています。
「萩の寺」と称される所以は、毎年9月に「萩まつり」が催され、全国から見物人が集まるからである。正岡子規も当寺の萩を好んで句碑を残した。
天平年間(729年~749年)行基によって創建されたと伝えられ、1681年(天和元年)曹洞宗に改められたという。本堂は行基が建立したと伝えられ、本尊の十一面観音立像が安置されている。この仏像は1985年(昭和60年)の修理で布で包まれた上に金箔で覆われている、全国的にも珍しい仏像だと分かっている。その他にも本堂には平安時代に作られた、国の重要文化財に指定されている木造釈迦如来坐像がある。
住所 大阪府豊中市南桜塚1丁目12-7
常光円満寺
常光円満寺は、大阪府吹田市の真言宗寺院。開基は行基菩。735年(天平7年)行基が民衆救済のために諸国を巡行したおり、「吹田に聖なる香木がある」との夢のお告げがあり、当地に来てみると、そのお告げ通りに一本の香木が浜辺に打ち上げられていた。行基はその香木で聖観音菩薩像を彫刻し、その場所を聖地として堂を建て、聖観音菩薩像を本尊としたと伝わる。このお堂は浜辺に建てられたので、「浜の堂」と呼ばれ、行基菩薩の話を聞くため常に千人を越す人たちが集まり、智慧を授かるために日夜光明が絶えなかったので、誰言う事なく、山号は「慧日山(えにちざん)」となり、「常に光明を放つ寺、常光寺」と呼ばれるようになったと言われる。とりわけ水子供養で知られる。厄除祈願、安産祈願にご利益があるとされています。
住所 大阪府吹田市元町28-13
飛鳥戸神社
飛鳥戸神社(あすかべじんじゃ)は、大阪府羽曳野市にある神社である。式内社(名神大社)で、旧社格は村社。厄祓い、子孫繁栄、家内安全などにご利益があるとされています。
住所 大阪府羽曳野市飛鳥1023
春日神社
春日神社(かすがじんじゃ)は、大阪府豊中市宮山町にある神社である。社殿北側のつつじの園は、満開時には大勢の見物客で賑う。
1月15日(小正月)には、古来から宮中で行われてきた悪魔払いとして伝えられてきた儀式「左義長(さぎちょう)」が行われる。民間では正月用の門松、しめ飾りなどを焼いた儀式として、江戸時代から行われてきた行事である。
住所 大阪府豊中市宮山町1-10-1
長慶寺
長慶寺(ちょうけいじ)は大阪府泉南市にある真言宗泉涌寺派の仏教寺院。山号は金泉山、院号は慈昌院、本尊は如意輪観音である。厄除け祈願などにご利益があるとされています。
住所 大阪府泉南市信達市場815
真宗大谷派難波別院
真宗大谷派難波別院(しんしゅうおおたにはなんばべついん)は、大阪府大阪市中央区にある真宗大谷派の寺院。同派の別院。本尊は阿弥陀如来。通称は、「南御堂」(みなみみどう)。同派の大阪教区教務所、教化センター会館を併設する。
大阪市内の中心を南北に走る御堂筋の名は、「南御堂」と「北御堂」(浄土真宗本願寺派の本願寺津村別院)とを繋ぐ道であることに由来する。
住所 大阪府大阪市中央区久太郎町4-1-11
松山神社
松山神社(まつやまじんしゃ)は大阪市東淀川区小松に鎮座する神社。御祭神は菅原道真公、相殿に天照皇大神、春日大神、住吉大神を祀る。
社伝によると、菅原道真が延喜元年(901年)大宰府に配流された時、淀川を下ってこの地に到着。生い茂る小松に「小松の詩」を吟じられ、直筆の御真像を里人に与えたので、後に神祠を建て、村を小松村と呼び、氏神として崇めたのが始まりという。
明和(1764年)の頃、境内拡張、社殿修築が行われ、正一位前大納言筆の「天満宮」の扁額を掲げたとあり、江戸時代には小松の天満宮と呼ばれていた。
境内には、かつて「菅公腰掛石」と呼ばれる石があったが紛失、代わり「撫天神石」が建立され、菅原道真公の御分霊が奉祀された。祈願して御分霊を撫でれば、道真公の神徳が授かれるという。また1858年(安政5)に奉献された神牛がある。体の調子が悪い人は、自分の体の悪いところと同じ神牛の部分を撫でると、病を直し健康になるという。
住所 大阪府大阪市東淀川区小松4丁目15-38
諏訪神社
諏訪神社(すわじんじゃ)は大阪府大阪市城東区にある神社である。御祭神は建御名方刀美命(たけみなかたとみのみこと)、八坂刀売之命(やさかとめのみこと)。長野県にある諏訪大社の分社である。
創建年代不明。境内にある石灯籠に承和3年(836年)4月寄進と刻まれているので、平安時代前期にはあったとされる。菅原道真が大宰府に左遷される道中で当神社に参拝したと伝わる。
境内にある腰掛天満宮の社の前には、菅原道真公が休憩のために座ったといわれる「菅公腰掛石」がある。この石に触ると、学業成就の御利益が授かるといわれている。
住所 大阪府大阪市城東区諏訪二丁目15-16
八坂神社
八坂神社は大阪府大阪市城東区にある神社。京都の八坂神社の分社で、素戔鳴尊(すさのおのみこと)を祀る。厄除け、疫病退散、縁結び、夫婦円満、安産などのご利益があるとされています。
昔、村の側を流れていた楠根川の上流から金色に光るものが流れてくるのを当地の庄屋が網ですくい上げ、家に持ち帰ってみると牛頭天王と墨書された木簡であり、これをお祀りしたことに始まるという。
大正2年(1913年)に永田村の水神社とともに八劔神社に合祀されるまで、天王田の氏神だった。合祀された後、神社跡地は長い間荒れ放題で、狛犬だけが転がっていたが、昭和55年(1980年)に天王田地区の人々の強い懇願と協力により元の場所に再建された。
神前に頭の一部が欠けた狛犬が鎮座しています。この狛犬にお願いすると、無くなったものが見つかるという。境内にはいちょうの大木があり、その横に「稲秀大明神」が祀られている。
住所 大阪府大阪市城東区天王田10
誉田八幡宮
誉田八幡宮(こんだはちまんぐう)は大阪府羽曳野市にある神社である。旧社格は府社。主祭神は応神天皇で、応神天皇陵のすぐ南に鎮座する。
社伝では、欽明天皇の命により、応神天皇陵の前に社殿を建立したのに始まるとしており、そこから「日本最古の八幡宮」を称している。実際には、もっと後の八幡信仰が盛んになった時代に建立されたものとみられる。永承6年(1051年)、元の鎮座地から1丁(約100m)ほど南の現在地に遷座した。
永承6年(1051年)、後冷泉天皇の皇后が懐妊した折、皇后が夢の中で南殿へ出ると、木の下に鬼のような姿の一人の翁が立ち、「安産を願うなら吾を祀るべし」と告げた。その話を聞いた天皇は、昔、神功皇后が誉田別尊を出産された時、槐木をもって産殿の柱を造らせたという故事を思い出し、早速槐(えんじゅ)の木を探された。
そして誉田八幡宮に槐の木があることが判り、勅使を遣わして境内の槐木の枝を伐りとり、これを産室の上に吊るして安産を祈念。無事安産で皇子が誕生したという。以来、誉田八幡宮の槐木は「安産の木」と呼ばれ、信仰を集めている。
住所 大阪府羽曳野市誉田3丁目2-8
日根神社
日根神社(ひねじんじゃ)は大阪府泉佐野市日根野にある神社。和泉国日根郡の式内社で、和泉五社の一つ(和泉国五宮)。子授けや子宝、安産、良縁、そして安眠のご利益があるとされています。
住所 大阪府泉佐野市日根野631-1
本山寺
本山寺(ほんざんじ)は大阪府高槻市にある天台宗の仏教寺院。山号は北山。本尊は毘沙門天。鞍馬寺、朝護孫子寺とともに「日本三毘沙門天」とも言われている。交通安全にご利益があるとされています。
寺伝によると、持統天皇10年(696年)に役小角が葛城山で修行中に北西に紫雲のたなびくのを見て霊験を感じ、北摂の山に来て自ら毘沙門天像を彫り、堂を建てて修験の道場として開山したのが始まりと伝えられている。
住所 大阪府高槻市大字原3298
大阪府の旅行情報
グルメ
「お好み焼き」・「たこ焼き」・「串カツ」などが有名です。
観光地
「ユニバーサル・スタジオ・ジャパン」・「あべのハルカス」・「海遊館」などが有名です。
お土産
「551蓬莱の豚まん」・「焼きたてチーズケーキ」・「堂島ロール」などが有名です。
パワースポット
繭気属性から相性の良いパワースポットを探すことができます。